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 オリヴィエやセフレーニアに零せばまた失望されそうなことを考えながら、すっかりぼろぼろになった軍服の胸元を握り締めた。

「エルクディア? なにを言う。人の子の身体は脆い。今のそなたでは……」
「リーシーオールーク。おとぎ話の一つでも読んでみろよ、お前。悪い竜を対峙するのは、若くてかっこいい騎士サマだって古今東西相場が決まってんだ。せいぜい働いてもらおうや」
「しかし、エルクディアをノルガドらの前に出すのは危険だ。ましてや邪竜など、人の子が敵う相手ではない」
「竜に勝てるとは思っていません。それでも俺は、行かなきゃいけない。――あそこには、守らなきゃいけない人がいる」

 たとえこの力が、自分のものではなかったとしても。
 アスラナで神童として、竜騎士としてもてはやされてきたエルクディア・フェイルスはただの幻想だったのだ。竜の力を借りて思い上がっていただけの馬鹿な男に、大国の戦士達を率いる資格はない。
 ならばただのエルクディアとして、あの子のもとに走ろう。
 受け入れられずとも。拒絶されようとも。あの子の求める光が、他にあろうとも。
 ――これが最後になろうとも。
 昏い思いに全身が呑まれ、闇に引きずられた思考を澄んだ氷の音が引き止めた。瞬いた先に見えたマスウードの薄青の瞳が、シエラの蒼を連想させたのだ。
 どこまでも広がる薄青の世界。氷の柱が立ち並び、シエラと同じ蒼い髪を持った女が微笑む。あの夢で聴いた氷の花が舞う音が、エルクディアの澱を浄化していく。
 柔らかな胸の内に喰らいつく蛇を引きずり出して薙ぎ払い、エルクディアは睨むような力強さで人ならざる者らを見上げた。

「その意気だ。特別に乗せてやるよ、騎士サマ。せいぜい死ぬまで自慢しな」

 一体なにに乗せるというのか。そしてなにを自慢するというのか。
 尋ねかけたエルクディアの口は、中途半端に開いたまま動きを止め、言葉を失った。
 リシオルクの左右異色の瞳がどこか切なげに、けれどとても大切なものを見るような眼差しで、エルクディアの眼前に立つ“それ”を見つめている。光が溢れたその先に、小さな氷の華が舞っていた。水晶のような花弁を持つ花ではなく、結晶を少し大きくしたような小さな華だ。
 白く、青く、透明に。
 ひんやりした空気を足下から漂わせ、彼方の空を見上げた獣がひたとこちらを見据えて笑う。

「久しぶりの狩りだ。――血が滾るねぇ」

 光を弾く銀毛を風に靡かせ、足先に氷を纏った巨大な狼がマスウードの声でそう言った。


+ + +



 ――嘘つき。
 嘲笑う声がすぐそこにある。深き闇の中、一歩踏み進めることもできぬほど粘つく泥濘の中から、ひび割れた声が嗤っている。
 ――お前は嘘つきだ。
 声を聞かぬように耳を塞ぎたいのに、光を求める腕は慣れた様子で腰の剣へと向かい、まっすぐに前に伸ばされた。この唇は未来を紡ぐ。この瞳は先を見る。闇になど囚われず、過去になど縛られず、ただひたすら、明るい方へ。綺麗な方へ。
 ――口ばっかり。
 泥濘の底から、汚れた手が足首を掴んだ。ずるり。引きずり込まれそうになりながら、必死で前を目指す。笑え、希望を口にしろ。立ち止まってなどいない。迷ってなどいない。落ち込んでもいないし、悩んでもいない。常に進まなければ。進んでいるように、見せなければ。
 愛剣を握った手の震えを悟られないように。俯きそうになる顔で、懸命に前を見続けた。
 瞬きをするほんの一瞬。その一瞬訪れる暗闇が、胸の奥底の声を引きずり出す。

 希望などどこにもない。
 この力は偽りの力だ。
 誰もお前を求めてなどいない。

 これで分かったろう、と誰かが言った。
 あの子にはどう足掻いても届かない。汚れた手では触れられない。夢を夢とも知らずに見続けた愚か者。ああ、なんて恥ずかしい。情けない。実に無様だ。
 ――ああ、神さま。
 乞うような響きを持ったその声は、他ならぬ自分のものだった。




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