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「オイオイ。こっちは相当鬱憤(ストレス)溜まってんだ、まさかこんなもんで終わりなんて言わねぇよなぁ? まっさかなぁ? オラどうした、かかって来いよ、バケモノ共! せっかくのご登場なんだ、存分に楽しもうぜ!」
爛々と輝く瞳は解放感に満ちていた。
フォルクハルトの手には球体を形作る水が生み出され、神気を纏ったそれが最大の敵の存在を知ったオーク達に襲いかかる。邪竜の咆哮に負けじと、ヴィシャムの雷撃がそれを追った。
「これだから檻に閉じ込められた野犬は手に負えないんだよ。解放された途端これだ。物騒極まりなくて嫌になるね」
「よく言うぜ、そんな俺がイイんだろうがっ、よっ!」
「ははっ! よく分かってるじゃないか、“相棒”」
鉄砲水のような奔流がオークのみを攫っていく。襲われていたオリヴィニスの民が唖然として見上げた空には、光り輝く氷狼達の姿が見えたことだろう。
地表まではまだ高さがあるというのに、フォルクハルトは氷の道から勢いよく飛び降りた。その小柄な体躯を掬うように水が噴き上がり、周囲のオークを法術に巻き込みながら、体勢を崩すことなく着地する。靴底の氷が音を立てて砕け散り、宝石の欠片のように地面に広がった。
ロザリオの鎖を今にも引きちぎらんばかりの勢いで手に掛けた野犬が、舌舐めずりをしながら濡れた髪を掻き上げる。
「――さぁって。お前ら、退屈させんじゃねぇぞ?」
+ + +
世界が揺れる。空気を割り、大地を揺るがすほどの騒音に、腹の底がびりびりと震えた。
突然迫りくる不穏な気配に、リシオルクが顔色を変えて洞窟の外へと飛び出す。それを追うように立ち上がったエルクディアの肩を、マスウードが自然な動作で支えてきた。まだ少しふらつくが、自力で歩けないほどではない。それでもここで無碍に振り払うほどの恥知らずではないので、大人しく支えられることにした。
外に出れば全身に光が降りそそぐ。久方ぶりの外の空気だというのに、エルクディアの心はちっとも晴れなかった。
見上げた頭上に、漆黒の影が浮かんでいる。
「なんだ……あれ……」
「アネモスだな、ありゃ。えらくでっかい姉さんになって戻ってきやがって」
「アネモス?」
「前の竜王だ。現王ノルガドに負けて国を出たんだが、魔に魅入られちまってる。堕ちた竜は凄まじく強ぇからな、厄介だぞ。――それにこの臭い、オークの奴らもいやがるな」
エルクディアの身体を支えながら空を見上げたマスウードが、面倒なものを見つけたと言わんばかりに肩を竦めた。エルクディアよりも長躯の身体は逞しく、鋼のような肉体から振動が伝わってくる。
王を戴く竜の国。その前王が魔に堕ちた。幻獣が魔に堕ちる――それすなわち、魔物に転化するということだ。
魔物に転化した幻獣の恐ろしさを、エルクディアも目の当たりにしたことがある。ホーリーの荒れ狂った海に現れた、泥に塗れた人魚達。彼女らは嘆きの歌を歌っていた。穢された、狂わされた、と。
ならば、あの竜は。
闇色の鱗を持ち、怨嗟の叫びを上げながら上空を舞うあの竜は、一体なにがきっかけで魔に堕ちたのだろう。
「――マスウード、エルクディアを頼んだ。私は行く」
「おいおい、ちょっと待てよ。勝手に任されても困んだよ。俺にここにいろって?」
「そなたにはここを守る役目がある」
「そりゃそうだ。だがな、こういうときこそ俺らの出番だと思うんだがね。違うかい、千年竜サマ」
からかうような口ぶりでマスウードが首を傾げ、その拍子に輝く銀髪がエルクディアの頬をくすぐった。随分と懐かしい色だと思う。アスラナ城にいた頃は毎日見ていた色だというのに、こんな気持ちになるのは不思議だった。
マスウードが何者なのかは分からない。ただの人間だとは思えないが、瞳を見る限り竜というわけでもなさそうだ。
事態は飲み込めない。
ここは一度アスラナに戻り、策を講じて行動すべきだと王都騎士団長としての自分が告げている。
――けれど。
エルクディアはマスウードの腕から離れ、己の足でしっかりと地面を踏み締めて彼らを見上げた。
「……俺も行きます」
あの竜が向かう先に、シエラがいる。この世で唯一無二の蒼い光が、あの山の頂にあるはずなのだ。
輝く月の傍には、星が常に寄り添っているのだろう。エルクディアよりもずっと近くで彼女を守る存在がある。分かっているはずだった。王都騎士団総隊長という立場を鑑みれば、ここで引くべきだ。その判断が下せない自分は、やはりこの立場には向いていないのだろう。