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 残されたのはまたしてもヴィシャムとフォルクハルトの二人だ。まさか口に咥える気じゃないだろうなと凄むフォルクハルトに、アフサルの余裕たっぷりの笑みが向けられる。
 すべての説明は行動で示された。この非常事態だ。いちいち口で説明している時間もない。
 その気配を感じ取ったのは、シエラが一番先だった。
 神気が満ち、氷狼の口から氷の吐息(ブレス)が放たれる。キラキラと光を纏ったそれは祓魔師達の足下へと滑り、その靴底を瞬く間に凍らせた。

「うおっ! 氷!?」
「マクトゥーム殿、これでは滑ってまともに歩くこともできないんだが」

 ――ああ、そうか。
 触れ合った身体から伝わってくるものがあった。このあと広がる光景が、閉じたまなうらに浮かぶ。金の双眸に映るのは、あまりにも幻想的な氷の世界だ。
 シエラの胸を満たすのは、懐かしささえ覚えるあたたかな気持ちだった。しがみつくように氷狼の首を撫で、柔らかな毛並みの後頭部にくちづける。
 そのくちづけに応えるように、美しい獣は顎を上げて遠吠えをした。清廉な風が吹き、邪竜のもたらす淀んだ空気を薙ぎ払っていく。

「我が弟子にして次代の長。バスィールよ、今こそその力を姫神様に捧げ、道を示せ!」

 アフサルの声を合図に、ガラスを失くした窓からスカーティニアが大空へと駆け抜けた。漆黒の翼を広げ、しなやかな黒豹が空を駆けていく。

「ジア。私の愛しい友。――行こう」

 神気が高まる。淡く発光した銀毛に、背後のライナが驚きの声を上げた。
 氷の花が舞い踊る。まばゆい光の中、風を切って飛び出すと同時に、シエラ達の身体は中空を滑り出した。地面などない。ましてや翼もない。浮遊感にぎゅっとしがみついてくるライナの体温を感じながら、シエラは隠しきれない感情の高ぶりに包まれていた。
 光が舞う。氷狼はどこまでも響く一声のもと、凍てついた息吹が薄青の影を孕んだ氷の道を空に生み出していく。踏み締めるたびに澄んだ音を奏でる氷の道は美しく、鏡のように周りの景色を切り取って反射させている。

「――なるほどな。そういうことかよ!」

 竜の居城に取り残されていたフォルクハルトがにんまりと笑い、一瞬の躊躇いもなく窓の外に身を躍らせた。キンッと甲高い音を奏でて、凍った靴裏が氷の道を踏み締める。
 そして彼の身体は、坂になったその道を一気に滑り降り始めた。

「やるじゃねぇか、ぼーさん! ぶら下げられるより百倍いいぜ!」
「落ちるんじゃないよ、フォルト! はしゃぎすぎだ!」
「るっせー! ははっ! サイッコーだな、これ!」

 軽く膝を曲げ、体勢を整えながら坂を滑るフォルクハルトの後ろに、呆れ顔のヴィシャムが続く。冷えた風が容赦なく身体を嬲ろうと、なによりも高揚感が勝って痛みは感じなかった。
 青い世界がそこにある。約束の大地に氷が生まれ、愛しい友が傍にいる。
 シエラはそっとロザリオを握り込み、遥か高みから、オークの襲うオリヴィニスの大地を見下ろした。これほど美しい場所を穢すだなんて、許せるわけがない。
 次第に地表が近くなり、オーク達の姿も肉眼で確認できるまでになってきた。ビュウビュウと風を切って進みながら、氷の道を行く。凄まじい速さで坂を下るフォルクハルトは、夕焼け色の瞳を輝かせてヴィシャムを振り返った。

「よっし! 虎野郎、アレやんぞ、アレ! オイ、ぼーさん、テメェこれは凍らせんじゃねぇぞ!」
「は? おいフォルトっ、急に、」
「ドデカいの頼むぜ、“相棒”! <聖爆を引き起こせ! ――アクア・プラッツェン!>」
「まったく、調子がいいなお前は! <駆け抜けろ、ランス・ブリッツ!>」

 子どものようにはしゃいだ声で紡がれた神言は、桁違いの高威力でもってオリヴィニスの大地に降りそそぐ。巨大な水の塊が空中で爆発し、地上を蹂躙するオークを混乱の渦に突き落とした。聖なる水に触れたオークの悲痛な叫び声を遮るように、ヴィシャムの放った神言が稲妻の槍となってオーク達を貫いていく。濡れた身体は雷の威力を増強させ、瞬時に魔物を聖灰へと変えた。
 二人とも当たり前のような顔をして放った法術だが、これほどの高威力にもかかわらず詠唱を省略した状態で行使するのは生半なことではない。その上、彼らは次々と同威力の法術を放つのだ。
 濡れた髪の先を凍らせながら、フォルクハルトがヴィシャムいわく物騒な顔で眉を上げる。


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