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 その様を見て、騎士は「女みたいな真似をするな」と、青年が音を拾えないくらい小さな声音で毒づいた。
 青年の思惑に乗っていいことなどあったためしがないことは、騎士が一番熟知している。――はずなのだが。

「――祓魔師はいらない。聖職者は神官だけを連れて行く。けどな、ユーリ。明日の朝までに、アレは絶対片付けろ!」

 ああもちろんだよ、と裏のない――ように見える――笑みを浮かべた青年を前に、騎士は深くため息をついて心中でそっと後悔した。
 挑発に乗るなど、他者相手では考えられないことだ。
 けれど、なぜか青年相手では騎士の頑なな心も手のひらの上で簡単に転がされてしまう。
 長年の経験からそれがどうしようもないことなど分かってはいたが、騎士からしてみれば己の失態以外のなにものでもないので、この状況を悔やむばかりだ。
 戻って出発の準備と再計画を練らなければならなくなった騎士は、ゆっくりしてはいられないと踵を返し、足音を吸収する絨毯の上を躊躇いなく進んで金のドアノブに手をかけた。
 ガチャリと剣が揺れる音よりも鈍い金属音が鼓膜を叩き、僅かに開いた扉の隙間から廊下の風が流れ込んでくる。そのまま振り返ることなく部屋を出て行った騎士の後姿を眺めながら、青年はくつくつと喉の奥を震わせた。

「あちら様の策略かな、と言ったろう? それくらいは、乗り切ってもらうよ」

 作られたような美貌の持ち主は妖しく口端を吊り上げると、壁に立てかけていた聖杖を手に取り、ロザリオについている法石と同じエメラルドの填め込まれた上部をそっと指でなぞる。
 大きな窓からどんよりと曇った空を見上げ、青年は城下を駆け回る聖職者達を思って苦笑を浮かべた。
 今回襲撃してきた魔物のレベルでは、アスラナ城の周囲に張り巡らされた結界を破ることなど不可能だ。
 強力な結界に囲まれたこの城はどこよりも安全が確保されているが、王都はそうもいかない。
 いくらリロウの森を塞ぐようにアスラナ城の城壁がそびえ立っているとはいえ、それが防いでいるのはリロウの森のほんの一部にしか過ぎないのだ。目に見える入り口を封じたところで、上空なり地中なり、また人知れず開いた入り口から魔物は現れる。
 しかし先ほども述べたとおり、普段ならばこのように王都への魔物の襲来は滅多にない。それはこの王都に数多くの聖職者が集まっているという理由もあるが、一番の理由は――
「さて、と。……久しぶりに私も働こうか」


 世界最強の最高祓魔師――アスラナ王が、存在するからである。


+ + +



 高く連なる山に囲まれ、比較的魔物の発生率が低い村――それがリーディング村だ。
 馬車では少々通りにくい山道の奥にあるためか、人々に見捨てられたようにひっそりと存在する小さな村だったが、あることのおかげで他の農村とは比べ物にならないほどの援助を国や各教会から受けている。
 そのため村人達は凶作に見舞われることがあっても餓え死ぬことはなく、村の北西に建てられた立派な純白の教会に逃げ込めば魔物に襲われる心配をする必要さえなかった。
 恵まれた環境は、まさに奇跡と呼ぶべき事柄のおかげでこの村に降ってきた。

 そのあることとは――、神の後継者の存在だ。

 奇跡の子、神の子と噂される神の後継者が、十七年前にこの村に生を受けた。数千年も前から語り継がれている伝説のとおり、蒼い髪と金の双眸を備えて。
 生れ落ちたその嬰児を一番最初に見たのは、村長婦人だった。
 お産を手伝っていた彼女は、小さな新しい命をその手で受け止めた瞬間ぶわりと涙が溢れたと、何度も何度も周りに語る。
 それもそのはず、魔物がちらほらと姿を見せ始めていたその頃、人々は言いようのない不安に心を蝕まれていたのだ。
 いつ喰われるかも分からない日々を過ごすのは恐怖以外の何者でもなく、このまま世界は終焉に向かうのか――とそう思っていた。

 これでようやく世界が救われると思った人間は、リーディング村の者だけではない。神の後継者が生まれたという噂はアスラナ王国内だけには留まらず、世界各国へと渡り鳥につく植物の種のように運ばれていった。
 すぐに王都から使いがやって来て、両親に「髪はできるだけ伸ばし続け、清らかな環境で育てよ」と言って様々な手続きをし、村に元々あった古びた教会を補修して帰っていった。
 村に強固な結界が張り巡らされたと知るのは、後日村に訪れた壮年の神官が神の後継者についての説明をしたときであった。 

 神の後継者に与えられた名は、シエラ・ディサイヤ。
 彼女は腹が減ったわけでもないのによく泣き、よく眠る嬰児で、成長するごとに見せる表情はその年齢からすればとても落ち着いていて、悪く言えば冷めた目をしていた彼女は己の人生さえも客観視しているように見えた。

 まだ物心つかぬ頃から己の運命を諭され、些細な疑問を抱くことも許されず育った彼女は周囲の目がどこか怯えをはらんでいたことを知っている。
 愛情に隠されたその裏側で、強大過ぎる力を恐れていたことを、彼女はその金の眼で見抜いていた。

 近すぎず、遠すぎず。
 その絶妙な距離感を、彼女は幼いながらにして学んでいたのだろう。
 だからこそ、たった一人で王都へ行かなければいけないと告げられたときも「ああ、そうか」と他人事のように生返事をし、軽く眉を顰めただけに留まった。



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