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「――この地に暮らす竜の掟では、そうはいかんだろうて。そうであろう、坊」
「貴様、合いの子の分際でこの俺に舐めた口を……!」
「坊を坊と呼んでなにが悪い。オリヴィニスの地では思うような力が出せぬと、そう素直に言えばよかろうて」
「ハナンっ、貴様……!」

 十二の本山の一つであるバルティアール僧院を纏める大師、アフサル・ヴァファー・ハナン・マナーフ。癖の強い黒髪が風に踊り、未だ張りのある肌に刻まれた刺青(しせい)が目を引く男は、黒豹に跨って竜の居城へと現れた。
 竜王を「坊」などと気安く呼ぶ姿に驚くシエラ達を尻目に、その背後で見慣れた白い影が小さく悲鳴を上げる。アフサルの背後に隠れるようにしてスカーティニアに跨っていた人物は、雨涙の魔女ことレイニーだ。彼女はただでさえ白いその顔をより一層白くさせ、震える唇で何事かを呟いた。
 レイニーの姿に、シエラの直感が危険を悟る。彼女はノルガドにとって裏切り者に他ならない。案の定、竜王はレイニーを見るなり殺気を露わに空気を震わせた。
 ノルガドの爪がレイニーに向けられようとした、そのとき。
 凄まじい衝撃と共に大地が揺れ、轟音が竜の国を襲った。立ち昇る黒煙は、邪竜の一撃をまともに喰らったことを示していた。
 この場で争っている場合ではない。さしものノルガドもそう判断したのか、彼は人化したままその背に翼を広げ、縦に裂けた瞳をぎらつかせながらレイニーに吠え立てた。

「忌まわしき裏切り者よ。逃げることは許さぬ。必ずやこの手で貴様を裁く!」

 飛び立つノルガドを見送り、「随分と嫌われたものだな、レイニダル」とアフサルは笑ったが、レイニーの方はといえば顔面蒼白で苦笑している。一体この二人は、どういう関係なのだろう。レイニダルという呼び名も初めて聞いた。それに、アフサルの竜王に対する口の利き方は、明らかに目下の者に対するものだった。
 ここオリヴィニスは、あまりにも謎に満ちすぎている。博識なライナならなにか分かるかと視線を送ったが、彼女もふるりと首を振るだけで事態を飲み込むに至っていないようだった。

「なあ、ぼーさん。さっぱり分からねぇんだが、今一体どうなってんだよ」
「竜の結界、そしてオリヴィニスの聖石が破られ、魔物の侵攻を許した。地底の王にしてオークの王、タドミールが自軍を率いてこの土地を蹂躙しておる。ゆえ、姫神様のお力をお借りしたく」
「アタシからもお願いよ。手伝いたいけど、正直言ってかなり不利なの。アタシにとっても、竜にとっても。……ここまで来るのが精一杯だったわ」

 ノルガドの消えた空を一度見やり、レイニーは言った。

「オリヴィニス全域とは言わないけれど、あそこは幻獣の血を宿す者にとっては戦いやすい場所じゃないの。オリヴィニスの大地には、鎮めの石が埋まってる。だから竜も、力を出し切れない」
「鎮めの石? ああ、だからあのトカゲ、下には行きたくねぇのか」
「……フォルト。お前のそういう恐れ知らずなところ、心底愛してるよ」
「あ? 気色わりぃこと言ってんじゃねぇぞ、クソ虎野郎。それより、さっさと地上に降りて魔物退治としゃれ込もうぜ。ここにいたってあの化け竜とは戦えねぇだろ。だったらオーク狩りすんのが俺達“聖職者”のオシゴトだろ?」
「だから、物騒な笑顔で言うんじゃないよ、そういうこと……」

 幻獣の力を封じる鎮めの石。それは幻獣そのものである竜はもちろん、幻獣と血を分けた魔女のレイニーにも作用を及ぼすのだという。
 オークを倒すことに異論はない。だが、この混乱の中、ここからどうやって地上に降りればいいのか。スカーティニアだけではこの人数は一気に運べない。邪竜を警戒して大鳥も近づいてはこないだろうし、竜の力を借りるなど夢のまた夢だ。
 正直にそう吐露すれば、アフサルが笑みを深くした。刺青の彫り込まれた腕がシエラのすぐ脇に伸び、銀毛の獣に優しく触れる。

「ご心配はいりますまい。姫神様、ここに我が弟子がおりますれば」
「ジアが?」
「ええ。貴女様のお役に立つと、そう誓いましたでしょう。――しかし、これは随分と無茶をしたらしい。さしずめ、鎮めの石に囲まれながら無理に転じたのでしょうな。氷狼ともあろうものが、声も出せぬとは」

 氷狼がバスィールであると半信半疑だった一同が、アフサルの言葉に軽く息を呑んだ。アフサルの手のひらに鼻先を擦りつけるように頭を動かし、銀毛の獣が――バスィールが小さく鳴く。
 シエラは彼がどのようにして狼に転じたのか知らないが、その様子を見ていたのだろうライナ達が、それぞれ思い思いの顔をしながら頭を押さえていた。
 アフサルの言葉を受けてか、氷狼が膝をつく。その背にシエラとライナが――彼女は実に恐る恐るといった様子だったが――跨り、レイニーとアフサルが来たときと同様にスカーティニアに騎乗した。


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