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「そんな、まさか……。純血種が、まだこの世に……?」

 白き御名の神のくちづけによって生まれた氷狼族。
 その純血種はもう滅びたと伝えられてきた。
 だが、星は常にそこにあったのだ。たとえ見えずとも、月の傍らに。あの晴天の空に。誰にも見つかることなく、水晶谷の奥に、ひっそりと。
 幻獣界最強種族と名高い竜が唯一恐れる、氷の狼。
 その目は竜玉を見通し、たとえ竜が人化していようとも見逃さない。氷狼の牙は、竜の硬い鱗ですら貫き通す。
 人間と血を混ぜた魔女達は人化している竜の竜玉までを見ることはできないが、それでも彼ら竜族にとって、氷狼の力は脅威であった。それゆえオリヴィニスの民は、竜の足元に眠ることができるのだ。

「さて……。では参ろうか、レイニダル」

 氷狼は目覚めた。
 蒼い月を待ち望み、眠り続けていた氷狼が。
 太古の昔、神に与えられた氷水晶の力を纏い、今再びこの約束の地に氷の花を咲かすだろう。


+ + +



 肌を刺す電撃を纏った風が、割れた窓から吹き付ける。細身の鎧を纏った竜達が次々と入れ替わり立ち代わりに現れては、ノルガドの指示を仰いで去って行った。
 ぽたり。傷ついた竜の落とした血が、白く凍った廊下に赤い花を咲かせる。その赤がやけに色鮮やかで、網膜に焼きつくようだった。
 やがてすべての竜が飛び立ち、竜の中では人化したノルガドだけが凍てつく廊下に残された。輝く銀毛の狼は毅然とした態度でシエラに寄り添い、静かに竜王を見据えている。
 そのノルガドが睨んでいるのは、この地に混沌を招いた黒い影だ。
 ――邪竜アネモス。
 ノルガドは、猛威を振るう漆黒の竜を見上げてそう言った。先代の竜の王であったアネモスはノルガドと戦い、敗北ののちに竜の国を去ったのだという。
 純粋な強さが竜の国の王を決定する。老いも若きも関係なく、竜は強さの前に膝を折り、頭(こうべ)を垂れる。
 ならば、あの竜よりもノルガドの力の方が強いはずだ。現竜王はノルガドであるのだから、彼ならば倒せるのではないかとシエラは主張した。だが、彼は苦い顔で唇を噛み締め、憂うように小さく首を振った。

「堕ちた竜は、その力を増幅させる。あの様子では竜玉は魔に侵され、本来持つ力よりも遥かに強い力を持っているだろう。邪竜を屠るは、容易いことではない」
「だがこのままでは、竜の国どころかオリヴィニスの土地が危ない。現に魔物の気配が満ちているんだぞ」
「深き地の底より這い出たオーク共のことか。汚らわしい地底の者らは、人間共でなんとかしろ。我らは我らと我らの世の理に従い、邪竜を倒す」
「それは分かった。だが、竜も何頭かオリヴィニスに向かってくれ。私達も下に降りて魔物を倒す」

 翼を持たないシエラ達では、邪竜と対峙するのは一苦労だ。それになにより、生粋の戦闘種族である竜族が苦戦を強いられる相手である。なんの準備もない状態で立ち向かえる相手ではないことくらい、戦慣れしていないシエラにだって容易に想像がついた。
 どちらにせよ簡単な戦いではないものの、地上を襲うオークの軍団であれば、まだ自分達の領分だ。ここにはライナもいれば、祓魔に長けたヴィシャムやフォルクハルトもいる。それになにより、今のシエラには愛しい氷の狼がついていた。
 だからこそ地上の魔物を倒すことを願い出たというのに、空の色を写し取った竜の王は冷ややかな一瞥をくれるだけにとどまった。

「ならん」
「なぜだ! オリヴィニスの民を見捨てるというのか!?」
「我ら竜は、人間を守る義理などない」

 氷狼はただシエラに寄り添い、僅かな声も漏らさない。紫銀の瞳に浮かぶ感情は読み取れず、なにを考えているのかはさっぱり分からなかった。だが、その足元に氷が広がる。漂う冷気が床を白く凍らせ、パキパキと音を立てて氷柱を生む。
 シエラにはそれだけで十分だった。透徹な獣の首筋を軽く撫で、険しい顔のノルガドに向き合う。

「なら竜の助けはいらない。私達だけでオークを倒す」
「ならんと言っている。姫神よ、お前はこの竜の国で我らと、――ッ!?」

 刹那、割れた窓の隙間を縫うように突風が吹いた。
 よろめくライナの身体をヴィシャムが支え、シエラを庇うように氷狼が身体を丸める。柔らかな被毛に包まれてシエラが見たものは、黒に映える極彩色の衣だった。



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