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 そこに、バスィールの姿があった。極彩色の僧衣が音を立てて靡き、銀の髪が暴れている。この強い神気と光は、間違いなく彼から放たれているものだった。一体どんな法術を使ったのかとライナ達は思ったが、その考えは的外れなものだった。
 パキン。
 バスィールの足元から氷の塊が生まれ、太い鉄格子に霜が降りる。
 白くけぶるその中で、バスィールの身体が溶けた。それは溶けたとしか表現しようのないものだった。バスィールという存在を形作っていた手足、顔、そのすべてが一瞬で消え去り、次の瞬間には光を放つ氷の中心に巨大な犬のような獣が立っていた。
 雪の華を銀毛に飾り、四足の先には薄青の氷を纏う。あまりに美しすぎるその獣は、言葉を失い立ち尽くすライナ達を尻目に、咆哮と共に口から白く凍てついた息を吐き、檻や壁を凍りつかせた。
 獣が動く。
 凍らせた檻に突進し、凄まじい音を立てて砕き散らす。体躯に似合う太い尾がライナのいる牢にもぶつかり、目の前で鉄格子がガラスのように粉々になった。
 竜の怒声に、獣の唸りが重なる。一際大きく吠えたそれは、まさに狼の遠吠えだ。

「今の……、一体、どういう……」
「……獣に化ける法術なんて、あったか?」
「生憎覚えがないな。……とりあえず、外に出るか?」

 頭が事態に追いつかない。
 目の前で起きたことが信じられず、ライナの手足はぶるぶると小刻みに震えていた。
 破られた檻の向こうに、バスィールの姿はなかった。ただそこには、脱ぎ捨てられたかのような極彩色の僧衣と、彼の錫杖だけが静かに鎮座している。
 真冬の湖のように凍りついた床を滑らないよう注意しつつ進み、ライナは彼の痕跡をそっと拾い上げた。僧衣だけならまだしも、錫杖はライナの手に余ったため、ヴィシャムが受け取った。
 あの銀色の獣は一体なんだ。なぜここにバスィールがいない。
 獣だけを見れば、幻獣としか考えられなかった。だが、今まで接していたバスィールからは、そんな気配など微塵も感じられなかったのだ。どれほど人化していても、人間とは違う部分が必ずある。竜であればその瞳に現れ、人魚であればその肌に現れる。たとえ見た目に分からずとも、聖職者が見れば違いを感じ取れるはずだ。
 だが、彼は。
 彼からは、なに一つ感じられなかった。それに彼は、法術さえ使ってみせたではないか。
 魔導師との戦いの折、バスィールはシエラの導きによって神官としての力を発揮した。あれは聖職者が持つ力であって、幻獣が持つ魔法の力ではなかった。
 凍えそうになりながらも牢から脱出した三人は、回廊のあちこちが凍りついているのを見て絶句した。今にも雪が降り出しそうなその寒さに、二重三重の意味で震え上がる。

「今度はなんですか!?」
「ライナっ、伏せて!」

 城全体を揺さぶる強烈な振動に転びそうになったライナを、フォルクハルトがやや乱暴に引き寄せる。ヴィシャムの声に合わせて無理やり頭を抱え込まれ、そのすぐあとにフォルクハルトの小さな呻き声を聞いた。見れば、その額に血が伝っている。足元には岩のような氷の塊が転がっており、どうやら天井から落ちてきたそれが頭を掠めたらしい。
 ぐらぐらという揺れが落ち着いてきたかと思えば、窓ガラスにひびが入るほどの禍々しい猛りが鼓膜を貫いた。それと同時、三人の聖職者がその気配を察して目を瞠る。

「おいおい、すごい魔気だな。この地には魔物は出現しないんじゃなかったのか?」
「それどころか大盤振る舞いされてんぞ。一暴れするには最適だな」
「物騒な顔して笑ってるんじゃないよ、フォルト」
「言ってる場合ですか! 早くシエラのところへ行かないと!」
「その必要はないみたいだ。――ほら」

 ヴィシャムが指し示した回廊の先に、銀の光が満ちた。実際はただ光を反射させているだけだったのだが、その毛並みは獣自身が発光しているかのように見えた。
 大きな銀狼の背に、蒼が揺れる。


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