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 エルクディアから少し離れた場所に座った長躯の男が、端正な顔立ちに屈託のない笑みを浮かべる。
 洞窟の入り口から入ってきたわけではないのだろう。だとすれば、この奥の細道から現れたのか。何者かと警戒するエルクディアに、男はこう名乗った。

「割り込んですまないね、お客人。俺はマスウードだ。コイツと話してたんじゃ埒が明かねぇだろうから、俺から説明してもいいかい?」
「え、あ、ああ……」

 胡坐を掻いて座ったマスウードは、やや前のめりになって「どーも」と唇の端を持ち上げた。
 アスラナ城の侍女や貴婦人達が目の色を変えて見つめそうな美丈夫だが、あまりにも野性味の強い美貌だった。口調や仕草は軽薄さを伺わせるのに、氷が生み出す影のような薄青の瞳には王者の風格さえ滲ませている。
 抜身の刃物のような鋭さを持ち合わせているのに、警戒心を解くような笑みで内側に滑り込んでくる。年は三十を過ぎた頃だろうか。日の明るいところで見れば、彼の均整のとれた肉体美がはっきりと分かったことだろう。
 エルクディアは、マスウードに対して一体何者なのかという当然の質問を投げることができなかった。
 というのも、彼の語り口があまりに滑らかで、余計な口を挟む隙を与えてくれなかったのだ。
 竜族は竜玉を通じて力を移すことができること、力ある竜のそれは竜王に捧げられるのが常であることなどを聞かされ、スッと血の気が引いていくのを自覚した。
 ならば、先ほどリシオルクが言っていたことは――……。

「二十年前だ。雨涙の魔女が、死にかけの赤ん坊を抱えてやってきた。どうにかして救ってくれってな。俺にはどう見ても無謀なことだった。なにしろその赤ん坊は、人間の身体にたっぷり魔法の匂いを纏わりつかせてたからな」
「魔法の匂い……?」
「おう。腹ン中にいる間に、魔女が手を貸したのは間違いなかった。そうでもしなけりゃ、母体がもたなかったんだろうな。だが、赤ん坊には悪影響極まりない。人間の身体が強い力に耐え切れなくなるのも時間の問題だった」

 謎めいた男が、皮肉っぽく笑う。

「だが、コイツがいた。コイツと知り合いだったことは、雨涙の魔女にとって最大の幸運で、最悪の悲劇だったろうよ」

 ばらばらの場所にあった点と点が結びつき、一つの図形を描く。
 エルクディアの指先に小さな震えが走った。胸の奥で軋んだ感情がどっと溢れ出しそうになるのを懸命に堪え、早まりそうになる呼吸を整えるように、ことさらゆっくりと言った。

「……結論から、言ってください。その子どもは、どうなったんですか」
「助かった。コイツの――時渡りの竜の竜玉を移し、溢れようとする魔法の力を竜の力で抑え込んだ。そして無事に生き延び、今は俺の目の前にいる」

 今度こそ、エルクディアの目が零れんばかりに見開かれた。
 薄々感づいていたこととはいえ、こうまではっきり突きつけられると思考が追いつかない。息を飲み、胸元をきつく握り締めたのは無意識だ。マスウードからリシオルクに視線を移すと、かの竜は穢れのない瞳で小さく頷いた。

「俺に、竜玉……? なんで、そんな……」
「さっきから言ってるだろ。お前の命を救うためだ。そうするしかなかった」
「だからっ! だから、なんでそんなことをっ」
「悪いな、俺はそこまで知らねぇよ。助けを乞うたのはお前の親父で、話を持ちかけたのは雨涙の魔女だ。で、話に乗ったのはリシオルク。俺は関係ない」

 両肩を軽く持ち上げて笑ったマスウードが、リシオルクの肩をぽんっと叩いた。

「ほらみろ。だから言ったろ、打ち明けりゃ混乱させるだけだって」
「しかし、ノルガドが動いた以上、知らせねばなるまい。なにも知らぬまま追われ続けるのは、あまりに酷だ」

 この身体の中に、竜玉が埋まっているというのか。
 信じられない思いで己の胸を見下ろしたエルクディアは、一周回って落ち着いてきた頭で思考を巡らせた。それが半ば現実逃避であるとどこかで気づいてはいたが、そうと分かっても直視する気にはなれなかった。
 リシオルクの竜玉を宿したこの身体を、他の竜が狙っている。エルクディアを裏切り者だと言っていたが、あれはつまり、人間の身でありながら竜の力の源を宿しているからなのだろう。完全に不可抗力だと言ってやりたいが、言ったところで聞き入れてくれるような相手でもない。


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