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 人間で言えば二十代に見えるこの竜は、一体どれほどの時を生きているのだろう。胡坐を掻いた上に座らされ、髪を撫でられる。それこそ人形のような扱いだが、シエラは不快感に蓋をしてぐっと耐え忍んだ。
 漂ってくる酒の香りは濃く、一口でも飲めば倒れてしまいそうな代物だ。それをノルガドは水でも煽るかのように、くいくいと飲んであっという間に一瓶を空にしてしまった。そこで打ち止めかと思えば、どこから出したのかもう一瓶を開けて飲み始める。

「姫神よ。俺は嬉しい」
「……おい。酔ってるな、お前」
「もうじき、やっとあの裏切り者を裁くことができるのだ。ようやくあの力が我がものになる。それだけではないぞ。その上、月をも手に入れた。竜にとってこれほど喜ばしいことはない」

 シエラをしっかりと抱えたまま、ノルガドはどんどんと酒を流し込んでいく。涼しげな顔立ちだが、その目元に僅かに朱が走っているのが分かった。
 竜だろうが人だろうが、酔っ払えば皆同じだ。絡まれた方はたまったものではない。
 うんざりするシエラとは裏腹に、ノルガドは上機嫌で髪を撫でてくる。指先が喉元をくすぐり、やんわりと耳を食まれた。色を宿した愛撫というよりは、猫好きの人間が子猫を前にしたときのようなそれだ。
 だからこそ平手を叩きつけてやるのだけは我慢したが、今にも猫撫で声で話しかけてきそうな竜王は、シエラの首筋に顔を埋めて楽しそうに笑っている。
 新たな酒瓶に手を伸ばそうとしたノルガドに「もうやめておけ」と言いかけて、シエラは絶句した。広々としたベッドの枕元には、すでに空き瓶が五本も転がっていたからだ。
 くぷくぷと変わった笑い声を上げ始めたノルガドは、もはや竜の威厳も王者の風格もあったものではない。これでは、そこらの酒場に転がっている酔っ払いと大差なかった。
 頭痛さえし始めたシエラを強く抱きかかえ、竜王は上機嫌のままベッドに横たわった。当然、シエラも強制的に寝転がされるはめになる。厚い胸板が頬に押し当てられたが、肌蹴た衣服から触れた肌はどこかひんやりと冷たかった。

「昔話をしてやる。リシオルクはいつもしてくれた」
「結構だ、黙って寝ろ」
「何度せがんでも、他の話はしてくれなかった。リシオルクの話はいつも、この国の話だけだ。それが一番早く寝ると知っていたんだ、あいつは」
「……この酔っぱらいが」

 なにがそんなに楽しいのか、ノルガドはシエラを抱いたまま二度、三度と寝返りを打った。先ほど食べた牛の肉が胃袋で踊ったが、幸い吐き気にまでは至らなかった。
 リシオルクが誰なのか、シエラにはさっぱり分からない。聞いたところで、今のノルガドは答えてはくれないだろう。

「太古の昔、この地にはじまりの女神は訪れた。白き御名の神のくちづけを受けた風が、大地が、炎が、水が、それぞれ竜となった。我ら竜は神に最も近い、神に愛された獣となったのだ」

 ――すべてはくちづけから始まった。
 そう言ったルタンシーンの言葉がよみがえる。

「次に、白き御名の神は溶けない氷にくちづけた」
「溶けない氷?」
「氷水晶(こおりずいしょう)だ。白き御名の神の象徴でもある。くちづけられた氷は、狼となった。同じ地で生まれた聖なる獣は、それでいてまったく異なる性質を抱えていた。我ら竜が多くの種族を持つ一方、狼共は氷でしかなかった」
「だから、その氷水晶とは一体……」

 最後まで言わなかったのは、聞いても無駄だと悟ったからだ。腕の中で頬を齧られながら、シエラは舌打ちを零すことで質問を飲み込んだ。
 はじまりの女神――創世神の話に興味がないと言えば嘘になる。ここは下手に口を挟むより、黙って聞いている方が得策だろう。
 ノルガドは何度かまったく関係のない話を挟んだものの、話の続きに取りかかった。

「白き御名の神は、我ら竜には戦うために戦う力を、狼には守るために戦う力を与えた」

 身を捩って見上げた先では、ノルガドが瞼を閉ざしていた。かつて聞いた昔話の内容を思い出しているのか、それとも単純に眠気が襲ってきているのか。口調ははっきりしているので、前者かもしれない。
 大きな手が首の後ろに回され、より近くに引き寄せられる。幼子をあやすように背を撫でられ、懐かしささえ覚えながらシエラは黙って耳を傾け続けた。

「我らには玉(ぎょく)を。奴らには星を。この地を永久(とわ)に守るために」
「……守る? ここにはなにがあるんだ?」
「愛だ」
「はぁ?」

 一体なにを言い出すのかと思えば、愛ときた。
 思わず腹の底から絞り出すかのような「はぁ?」が零れたが、ノルガドは気分を害した風もなく笑った。


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