3 [ 639/682 ]
「レイニー、アンタ、男を見る目ないワ。魔女が聞いて呆れるワネ」
「自覚してる。嫌ってほどね。……それより、スカー、その、」
そこを退いてと言いかけたレイニーの目の前で、翼を持つ獣が膝を折った。レイニーに背を向ける形で体高を低くした黒豹が、唖然とするレイニーを振り返ってやれやれと首を振る。
ばさり。
柔らかな風が頬を打つ。蝙蝠を思わせる被膜の翼を大きく広げ、スカーティニアは獣の顔で器用に苦笑してみせた。
「――乗りなサイ。馬で行くヨリ、飛んだ方が早いワ」
「え……」
「ああモウッ、早く! 言ったデショ、アタシの主人ハアンタだッテ。どんなワガママにモ、とことん付き合ッテあげるワヨ!」
その日、雨涙の魔女は竜の国へ向けて旅立った。
かつて禁忌に触れた魔女の手が、再び裏切りに染まることも覚悟の上で。
この世には、失ってはいけないものがある。
彼女はそれがなにか、嫌というほど知っていた。
+ + +
目が覚めたシエラは、首全体に感じる鈍痛に眉を寄せた。大きな寝台(ベッド)に預けられた身体は相変わらず首輪に繋がれているものの、それ以上の拘束はされていない。鎖の先はベッドの一部に繋がれているが、十分な長さがあるため、ある程度は部屋を自由に見て回れそうだった。
窓の外に広がる空の色はほんのりと色を変え始めた頃合いで、あの理不尽な要求をされてからさほど時間が経っていないことが伺える。気を失っていたのはせいぜい二、三時間というところだろう。
「まったく、無茶をする……」
全体重を首輪一つで支えることになったのだ、下手をすれば首の骨が折れて死んでしまう。竜王ノルガドはそこまで考えていたのだろうか。
ずきずきと痛みはあるものの、喉の内側からもたらされるものではない。声が掠れているのは寝起きのせいだろうと結論付けて、シエラは近くにあった水差しから直接水を飲んだ。こんなに行儀の悪い真似はリーディング村にいた頃でさえしたことがないが、グラスが用意されていないのが悪い。
アスラナ城で用意されている水にはほんのり香りがつけられているものが多かったが、ここの水は無味無臭で、純粋に澄み切っていた。
部屋を見渡したが、主であるはずのノルガドの姿はない。
鎖を鳴らしながらベッドを降りたシエラは、アスラナ城に与えられた己の自室よりもずっと広い部屋を、鎖が許す限り見て回ることにした。戦士なのか、槍を携えた竜の彫像を見ながら軽く息を吐く。
まったく厄介なことに巻き込まれたものだ。
シエラを宙吊りにしたノルガドは、冷ややかに笑いながら「お前の竜を呼べ」と言ってきた。それが誰を示しているのかは明白であったが、事実にはほど遠い。
「……竜、か」
殺す気も傷つける気もないと言いながら、あれだけの非常手段に――竜にとっては常套手段なのかもしれないが――訴えかけるのだから、どうやら“彼”は竜族にとってよほどのことをしでかしたらしい。
実は竜の血でも混ざっているのかと思ったが、ノルガドは彼のことを人間だと言った。ならば、一体彼は何者なのか。
シエラが知る限り、彼は――エルクディアは、まぎれもない人間だった。
思考の海に囚われる。彼がもし、人間ではなかったとしたら。竜の血を宿した、とても珍しい男の魔女だったとしたら。無意識のうちに胸元に手をやり、そこにはもう青い石のネックレスがないのだと思い知る。
そのとき、シエラの耳が聞き慣れない音を拾った。音の方を探してみると、ちょうど腕で作った円程度の大きさの台があった。中央が浅く窪んでおり、鉢植えのような雰囲気だ。白い石を削り出して作ったのだろうその台座は、巣――あるいは揺り籠だった。
「目覚めたか。人の子というものは、実に脆い。あれしきで気を失うとはな」
声をかけてきたのは、呆れた口ぶりのノルガドだ。
音もなく背後に立った竜王に、シエラは目の前にいる生物について問いかけた。
「……これは?」
「先日孵化したばかりの幼な子だ。風竜の子らゆえ、ここに置いていた」
窪みの中にみずみずしい木の葉を敷き詰め、そこにまだら模様の殻が散らばっている。ピィピィと声を上げる三匹のトカゲは、大きな瞳でシエラを見上げてひっきりなしに口を開けていた。一見するとただのトカゲだが、シエラの手のひらほどの小さなそれらは背に翼を生やしている。