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 真っ直ぐに向けられた瞳に、ともすれば逃げ出しそうになる体をシエラは必死で押しとどめた。もしもエルクディアの軍服を掴んでいなければ、数歩後ずさっていただろう。
 ライナのあまりにも強く、そして切なげな双眸がシエラを射抜く。

「それでも、貴方の代わりはいないんです。貴方がやるしか、ないんです。神の後継者はただの伝説などではありません。紛れもない――わたし達と貴方で築く、事実の物語なんです」

 誰かを責めることなんてできはしない。これが定められた運命だ。抗うことなど叶わない。
 できるのは、ただひたすらに前を見据えて進むだけ。
 頬を大粒の涙で濡らしたセルラーシャは、ぐっと拳を握り締めた。ライナとエルクディア、そして最後にシエラを見て嗚咽を漏らす。
 本当は分かっていたのだ。
 シエラを責めたところでどうしようもないし、彼女を殺すことは決して赦されないのだと。けれど彼女の心は反発した。
 押し固められた理屈に反し、感情がすべてを占領した。間違っていないと肯定してくれる内なる声が理性を壊し、セルラーシャを突き動かした。

「ねえ、シエラ。貴方にしかできないことがあるのだと、分かっていて下さいね」

 ふわり、と浮かべられた笑みはとても優しいものだった。それでいて胸をぎゅうと強く握り締めるような、切なる願いの込められた声音にシエラは反射的に頷く。
 今にも泣き出しそうな、そんな笑顔だったのだ。油断すれば涙が零れ落ちそうな微笑を見せられ、抗えるはずもない。

 おそらくライナは、己の驕りを責めているのだろう。
 セルラーシャやルーンが傷ついたのは、己のせいだと思い込んでいるに違いない。彼女は人に責められる代わりに、自分で自分を責めている。赦されることのない、ずっと心に残り続ける罪として。
 セルラーシャの震える声が天井に響いた。

「でも、ルーンがっ!」
「彼に怪我を負わせたのは、わたしの失態です。真に申し訳ありません」
「…………け、が?」

 唇を噛み締めたライナに、セルラーシャのきょとんとした眼差しが向けられた。そのことに違和感を感じつつ、ライナが深く頭を下げる。
 痛々しい裂傷を負わせたあげく、心の傷をもつけてしまったのは完全にこちら側の責任だ。苦々しげに息をついたエルクディアが、柄にかけていた手をそっと放した。

「ルーン、生きてる、の? 死んだんじゃ……」
「まさか! 先ほど治療が終わったところです。今はもう、容態も落ち着いていますよ。意識が戻るのも時間の問題です」

 ライナがほら、と体をずらして奥の長椅子を指差した。セルラーシャの瞳が泳ぐようにそこに向けられる。
 茶色の髪がかけ布の隙間から見える。胸は上下しており、呼吸は確かに安定しているのを見る限り命に別状はなさそうである。
 包帯に滲む赤い血が痛々しいが、どうやら出血も止まっているようだ。

 泣き腫らして重たくなった目でそれを見つめていたセルラーシャは、ゆっくりと立ち上がっておぼつかない足取りで彼の近くまで歩み寄った。
 すとんと崩れるように長椅子の前に尻餅をつき、震える手をそっと伸ばす。冷え切った指先が彼の頬に触れた瞬間、感じたぬくもりに彼女は大粒の涙を零した。
 どっと押し寄せてきた安心感と罪悪感に、どうすればいいのか分からずただ涙だけを流し続ける。
 彼女はルーンの頬にしっかりと手のひらを押し当てながら、絞り出すように言った。

「ごめん、なさい……ごめんなさ、いッ! わ、たし……!」

 泣きながらセルラーシャは謝罪の言葉を繰り返す。心底己のしたことを悔いているその声音に、シエラは小さく首を振った。
 透明な雫が顎から落ちてルーンの頬に当たるたび、胸が痛いくらいに締め付けられた。
 シエラの視線が床に滑った短刀に一度向けられ、すぐに彼女に戻される。

 ――彼女をここまで追い詰めたのは、他ならぬこの身だ。

 前に立つエルクディアの脇を通り抜けようとしたとき、彼は当然のように制止をかけた。
 だがそれをやんわりと――だがしっかりとした意志を持って――払い除け、ルーンの前でうずくまるセルラーシャの傍らに片膝をつく。

 神父服の裾が衣擦れの音を立てる。普通ならば女人が着ることのない漆黒の衣服を纏うこと自体が、シエラには罪のような気がした。
 傍まで来たのはいいものの、かける言葉が見つからずにその場はセルラーシャの嗚咽だけが唯一の音源だ。

 シエラはそっと指で彼女の髪を掬い、すっかり短くなってしまったそれを何度も梳く。不揃いの長さの髪がはらはらと音を奏で、彼女の肩に収まっていた。
 見上げてくる瞳は、充血して真っ赤に染まっている。直視することができなくて、シエラは思わず目を伏せた。――逃げるようなその仕草は、本人が自覚しているものではない。


「……私には、世界を守るつもりなど、ない」


 そうやく吐き出された言葉に、セルラーシャの肩が大きく震える。しかし彼女は静かに言葉の続きを待った。

「滅びるのが運命だというのなら、滅べばいいと、思っていた。……今も、そう思っている」
「シエラ……」

 そう呟いたのはエルクディアとライナ、どちらだったろうか。
 シエラの言葉に偽りはない。妙に飾ろうとせず、ありのままの気持ちを告げている。だからこそ、なにも言えなかった。
 たとえそれが、聖職者――神の後継者にあるまじき発言だとしても。
 一生懸命努力しているとでも言い切れば、セルラーシャだけでなくライナも反論しただろう。だが彼女はそれを口にしない。



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