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「お前達は私を殺さない。なら、遠慮する必要もない」
「はっ! なぜそう言いきれる。我ら竜は、人の子の命などに気をかけてやる義理はない」
「“姫神”なら話は別だろう。この身にはホーリーの海神ルタンシーンの加護が宿っている。いくら神に最も近い幻獣とはいえ、真(まこと)の神とどちらが強いんだろうな」

 合わさった襟を肌蹴させれば、白くきめ細かい鎖骨が露わになる。なにもないように見えるそこには、確かに海神の印が刻まれているはずだった。自分では見えないが、神気を昂らせればほの青く光を放つ水の刻印が浮かび上がるはずだ。
 じっとそこを見つめていた竜王が、苦々しく表情を歪めてシエラに背を向けた。
 半ばはったりだったが、どうやら効果はあったらしい。こんなことばかり上手くなるなと気づかれないように苦笑して、表向きは毅然とした態度をとり続けた。ライナが見れば「それはふてぶてしいって言うんですよ」と項垂れたに違いない態度ではあったものの、シエラにはその自覚がない。
 やがて竜王は、視線の高さに続く雲を睨むようにして言った。

「お前を殺さずとも、あの人間共は分からんぞ」
「なら、なぜわざわざ捕らえた? 人質は、殺した時点で価値がなくなるものだと聞いた。あの場で殺さずに牢に入れたということは、餌として使うつもりなんだろう」
「ふん。どうやら姫神は、思いのほか頭が回るらしい。では、自分が誰をおびき寄せるための餌となるのか、見当がついているのか?」

 頭上を飛び交う竜の影に光を奪われながら、それでも竜王の瞳は強く輝いていた。夏空を思わせる深い青はどこまでも美しい。

「レイニーだろう。雨涙の魔女がかつてお前達を裏切ったのだと、ウィンガルドに聞いた。だが、私達を餌にしたところで彼女が来るとは限らない。それより、テュールの方がずっと――」
「あの時渡りは不要だ。あんな目障りなもの、この地に置いておくのも不愉快だからな」
「え……?」
「して、姫神よ。お前は少し思い違いをしているようだ。雨涙の魔女は必ずやここにやってくる。そして我らがおびき寄せたいのは、魔女だけではない」

 竜王は鎖を腕に巻きつけて手繰り寄せると、逞しい腕でシエラを有無を言わさず抱き上げた。肩に手をついて押しのけようとしてもびくともせず、まるで壁を相手にしているようだった。
 バサ、と音がして風が生じる。空を溶かした水色の翼が、目の前の男の背に生えたのだ。彼は数回力強くそれを羽ばたかせると、砂を巻き上げて空へと浮上した。
 冷たく薄い空気がシエラを嬲る。どこかひんやりとした男の腕の中、そっと目を開けてみれば眼下に竜の国と真っ白な雲海が広がっていた。テーブル状になった山の上に木々が生い茂り、泉が湧き、宮殿が建つ。あちこちに蠢く塊の一つ一つが竜だ。

「我ら竜は、我らと我らの世の理を重んじる。この美しき場所を守るために。創世の神より与えられた、この力を後世に引き継ぐために。――姫神よ、お前が纏うニオイは、我らと我らの世の理を乱すものだ」
「だから、レイニーがなにをしたか知らないが、私には関係ないっ」
「ゆえ、お前を傷つけることはしない。たとえ気に障ろうと、それは我らの世の理に反する。だが、奴は違う。お前に染み込んだ、このニオイを発する奴は。我らと我らの世の理において、裁かねばならない。お前は、奴をここに呼ぶ最良の餌だ」
「竜なら自分で見つけ出せばいいだろう。そんなこともできないのか」

 子どもじみた挑発だったが、竜王は薄く笑うだけだった。

「言われるまでもない。見つけた。なぜ今まで見つけられなかったのか、それも分かった。――他でもないお前のせいだ、姫神よ」
「は……?」
「小賢しくも奴は聖域に暮らし、魔女に守られ、お前の祝福を身に宿していた。いかな竜とて見つけられん。だが、今はもう、そうではない」
「誰の話をしているんだ? レイニーのことじゃないのか」

 詳しくは聞かなかったが、レイニーが他の竜と共に竜王を裏切ったという話は聞いている。その竜に心当たりはないが、レイニーとは知り合いだ。彼らの言うニオイがついていたとしてもおかしくはないと、そう考えていた。
 しかし竜王は、明らかにレイニー以外の話をしている。そこで初めて、彼らに囚われて以来、一度も感じていなかった恐怖と不安が胸をよぎった。腕を突っぱねようとしていたのは無意識だ。
 青い瞳がシエラを離さない。月の裏側さえ射抜くような、まっすぐな眼差しだ。

「姫神よ。月影がなんたるか知っているか」

 シエラは応えなかった。
 かすかに首を傾げたのを見て、竜王は唇をしならせる。


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