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「――気がついたか」

 カツン。
 すぐ近くで聞こえた足音に、記憶の糸を手繰っていたエルクディアははっとして顔を上げた。反射的に剣を抜きかけ、立ち上がろうとして左足の痛みに呻くはめになる。
 小さな明かりを持って現れたその影は、随分と背が高いように見えた。声からしても男性のようだ。ちょうど影になっていて顔立ちはよく殺気めいたものは感じられず、ひとまず肩の力を抜いたが、それでも警戒は怠らない。
 男はゆっくりと近づいてきて、寝台の上に――つまりエルクディアのすぐ傍に――明かりを置き、こちらを見下ろしてきた。

「どうした。口がきけなくなったか? 喉を傷めたのか」
「あ、いや……」
「そうか。足はどうだ、痛むか」
「ああ、まあ……」

 曖昧な返事しかできないエルクディアに、男は軽く息を吐いて寝台の脇に片膝をついた。そうすることでやっと男の顔がはっきりと見て取れるようになる。
 彫刻のような冷たさを持つ端正な顔立ちにも驚かされたが、なによりも驚いたのはその目だった。
 右が赤紫、左が青緑。宝石のように美しく輝く左右異色の瞳は、以前にもどこかで見たような気がする。
 髪は首の後ろで無造作に束ねられてはいたが、紫水晶よりも深い紫の毛束が顔の横にはらりと零れている。彼はそれを耳にかけることもなく、エルクディアよりも一回りは大きいだろう手を左足に伸ばしてきた。
 布越しとはいえ、癒えぬ傷口に触れられて息が詰まる。そんなエルクディアを見る異色の瞳が、僅かに陰りを帯びた。

「すまない。人の子の脆さを失念していた。骨は砕けていないと思うが……」

 あの高さから落下して命があるだけでも奇跡だが、男にとっては最良の結果ではなかったらしい。
 唖然としながらも、エルクディアは彼の物言いにはっきりとした違和を覚えた。「人の子の脆さ」と彼は言った。これではまるで、自分が人ではないかのような言いざまではないか。

「貴方は? ここはどこで、どうして俺が助かったのか――よければ教えてもらいたい」
「私はリシオルク。ここは水晶谷の洞窟。落ちてくるそなたを、私が“咥えて”受け止めた」
「は? くわ……?」
「噛んだのだ。そなたの足を。背で受ければ落ちると思い、それが最も確実だと思った。しかし、人の肉はあまりに柔い」

 リシオルクと名乗った男は問いかけに対して簡潔に回答しているにもかかわらず、なにを言われているのかがさっぱり理解できなかった。
 水晶谷の洞窟とやらがどこにあるのかも分からないが、それよりももっと面妖なことを聞いた気がする。咥えるだの噛むだの、とてもじゃないが人命救助に出てくる台詞ではない。
 疼く左足に触れてくる手のひらの熱が、じわりと布越しに染み込んでくる。光に照らされた悲しげなその眼差しに、――縦に裂けた瞳孔に、エルクディアは激しい衝撃を感じ、反射的に拳を握り込んだ。

「竜なのか……!?」
「――いかにも」

 首肯したリシオルクと、かちりと目が合わさる。
 左右異色の瞳は、あの小さな時渡りの竜と恐ろしいまでに酷似していた。


+ + +



 星の光は、夜に瞬く。
 たとえ昼間は見えずとも、いつも必ず月の傍に。
 もしも月が求めるならば、たとえ太陽が空を支配していようとも輝こう。


 冷えた空気が足下から這い上がってくる。足裏が踏み締めた硬くごつごつとした岩の感触は、お世辞にも居心地がいいとは言えなかった。
 自分の手首ほどの太さもある鉄格子を無駄と知りつつ蹴りつけ、骨を伝う痛みに込み上げてきた涙を拭う。向かいから案ずる声がかけられたが、ライナは再度その細い足を振り上げた。

「おい、もうやめとけって」

 太い鉄格子の向こう、通路を挟んで向かいの檻の中でフォルクハルトが溜息を吐く。
 体力が底を尽き、石を削り出したままの地面に座り込めば、それだけでどっと疲労感が押し寄せてきた。
 ここは、竜の宮殿の中にある岩牢だ。
 ウィンガルドに竜の国まで案内されたと思ったら、巨大な岩竜が現れてシエラ達の行く手を阻んだ。さらに二頭の竜が集まり、為す術もなく竜王の前まで引きずられた。ウィンガルドは確かに約束を果たしたのだろう。シエラ達を竜の国へ案内し、竜王に引き合わせたことには間違いがない。
 だが、そこから先が問題だった。
 竜王は深い青の瞳を細め、冷ややかに言い放ったのだ。

「目障りな小さき者らを、我らの空から追放しろ。――そこの人の子らは檻にでも入れておけ」

 玉座に足を組んで座る姿は人間のそれと変わりがないというのに、放つ気配が大きく違う。空を映したような爽やかな出で立ちにもかかわらず、竜王は仄暗ささえ感じさせていた。


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