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「蒼い世界は美しいでしょう。大丈夫、貴方、まだここに咲くことができる。あの子の想いを、溶かすことができる」
「離せ!」
「私の愛する友を、あの子も愛する。けれどそれは、蒼い花咲くものではない。だから、大丈夫」
「分かるように説明しろ! ここはどこで、お前は誰なんだ!」
「ここは夢。貴方の見る、小さな夢の世界。私は、私。――あの子はまだ、私ではない」

 あの日と同じように、女の唇がそっと重なる。手のひらの傷に、優しく。
 それだけでじわりと広がっていくあたたかなものに、エルクディアは激しい眩暈に襲われた。急速に身体がまどろみの中に沈もうとし、意識が朦朧としてくる。夢の中で抗いがたい睡魔に襲われることなどあるのだろうか。
 崩れ落ちた膝が薄氷を砕き、転がっていた氷の花が花弁を散らせた。倒れ込み、白く染まる視界の中で、蒼い光だけが鮮明に焼き付いて見えた。


+ + +



「ん、ッ――!」

 夢から覚めた、とそんなことを思う暇もなく、激痛が全身を駆け抜けた。
 焼けつくような痛みの元は左足らしい。空気が固形になって喉に詰まるような感覚さえする中で、エルクディアは両肘を支えに軽く上体を起こし、足の具合を確かめた。
 身体の下でかさりと音がする。たっぷりと木の葉が敷き詰められた寝台に横になっていたらしいが、どうしてこんな場所にいるのかがまったく思い出せない。
 熱を孕んだ痛みを訴える左足には包帯代わりの布が巻かれ、薬草を煮詰めたような独特の臭いが鼻についた。どうやら怪我の手当てがされているらしい。

「ここは……?」

 王都騎士団の軍服はあちこち破れ、血や煤で汚れている。随分と酷い有り様だが、愛剣は寝台の端にきちんと鞘に収まった状態で立てかけられていた。
 巨大な一本の丸太を半分に切って作ったような寝台は飾り気がなく、騎士館に備えつけられているものとは見るからに異なる。そもそもアスラナ城のどこを探しても、こんな寝台は見つからないだろう。
 見上げた天井には梁などなく、剥き出しの岩肌がそこにあった。天井だけではなく壁も同様で、床には毛足の短い絨毯が敷かれているが、それも一部だけだ。光は常に一方向から差し込んでくる。
 ぼうっとする頭でそれらを見て、ここは洞窟の中だろうかとエルクディアは首を傾げた。
 しかし、なぜ洞窟に。確かにアスラナ城にいたはずなのに――と剣に手をやった瞬間、バチッと音を立てて記憶がよみがえる。

「そうだ、竜……! あのとき、落ちて、それから……」

 クラウディオ平原に現れた竜族に襲撃され、エルクディアは彼らに連れ去られた。巨大な爪が身体に食い込み、気を失うことすら許さない痛苦に蝕まれる中、もはやこれまでかと諦念が胸を満たし始めた折に蒼い光が視界に弾けた。
 耳の奥に聞こえるはずのない声が聞こえた途端、手に握った剣の重みがより確かに感じられ、エルクディアは再び瞼を抉じ開けて巨躯を誇る竜の腹を睨んだのだ。
 腕が動いたのはまさに奇跡だった。鳥の脚ともトカゲの脚とも異なる脚の関節部分に狙いをつけ、腕の力だけで長剣を振るった。
 関節を斬りつけられた痛みに、竜が一瞬脚を引く。腹に近づいたその隙を逃さず、エルクディアは最も色の薄い、柔らかそうな部分を狙って剣先を突き立てた。
 鼓膜を破らんばかりの咆哮を上げ、竜が喚く。より深く刃を押し込み、ぐり、と捻りを利かせれば、さしもの竜にも耐えがたい激痛を与えることができたらしい。全身を戒めていた拘束が緩み、エルクディアの身体は遥か上空から投げ出された。
 凄まじい速さで落下していく人間に追いつくことなど難しいことでもなかっただろうに、竜達はなぜかそうはしなかった。正確に言えば、途中で諦めたような様子だった。その理由までは分からない。怒りを滲ませた咆哮と吐き出された炎が肌を嬲り、服もろとも身を焦がした。
 眼下はちょうど山の谷間になっており、生い茂った木々があるとはいえ、この高さから落ちて無事で済むとは思えなかった。こんなところで死ぬのかとそう思うと情けない自分に嫌気がさしたが、けれどもあのまま竜に喰われるよりは数倍マシな結果だと思えば、自然と笑みが込み上げてきた。
 落下時間はそう長くはない。
 びゅうびゅうと轟音を立てて風を切りながら、エルクディアは今度こそ完全に意識を手放した。


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