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「――クソ、気づかれた! どういうことだよ!」
「フォルトっ、ライナを!」
「わぁってるよ!」

 岩が動く。
 それが竜なのだと、大きく開かれたあぎとを見て気がついた。赤黒い口腔の奥から、人間の子どもほどの大きさの石の塊がせり上がってくる。咆哮が時を支配し、吐き出された無数の礫がシエラ達を射止めるべく降りそそぐ。
 すぐさま前に出たバスィールが巨大な石柱を錫杖で突き砕くも、手が足りるはずもない。ヴィシャムがルチアを背に庇い、未だ本調子でないライナの前にはフォルクハルトが立った。
 非常事態を察知し、シエラの胸からテュールが勢いよく飛び出して、蒼い炎を吐いて応戦した。水晶のような尾の先が強く発光し、小さな口から炎の雫がぽたりと垂れる。一瞬で岩をも溶かすその炎に、岩竜が緩慢に動きを止めた。

「ウィンガルド! 頼む、説明を――」
「私の小さき太陽の頼みは、汝らを王のもとまで連れて行くことだった」

 溶岩がくすぶり、辺りに熱気が立ち込める。
 その中で、ウィンガルドの声音だけがひどく冷え切っていた。

「私はその役を果たした。これ以上、手を貸すつもりはない。――サクル、あとはいかようにも」
「え? まっ、待て! ウィンガルド!」
「姫神よ、私は言ったはずだ。竜の国に汝らを案内し、王の前へと連れていくことなら可能だ――と。そして、こうも言ったぞ」

 ウィンガルドが風を纏う。
 長躯の青年は一瞬でその美貌を溶かし、透き通った若草色の鱗を持つ竜へと姿を変えていた。

「――我ら竜は血を重んじる。姫神よ。汝には、裏切り者のニオイが染みついていると」

 風の鉾が生じる。
 まっすぐにシエラに向かって据えられたそれに、シエラは初めて、バスィールが舌を打つ音を聞いた。


+ + +



 風を切る音、聞こえたでしょう。
 蒼い光、見えたでしょう。
 貴方、私を求めた。
 呼ぶ声が聞こえた。
 だから応えた。
 貴方が呼ぶから。
 ――だから、応えた。


 しゃん、りん、しゃら。
 ――またあの音がしている。
 どこまでも美しく澄み切った、透明な音だ。
 目を開けた先には薄青の世界が広がり、エルクディアの背丈よりも高い氷の塊が、柱のように乱立している。蒼い光を纏った氷の花が降りしきり、水晶のような花弁を広げて眼前を飾った。
 一歩足を踏み出せば、薄氷を砕く音が足裏から響く。吐く息は白いのに、少しも寒さを感じない不思議な空間だ。
 以前にもこの世界を夢に見たことがある。エルクディアは氷の柱の間を歩きながら、あの日見た蒼い髪の女を思い出していた。シエラと同じ色の髪を持ちながら、シエラではない人物。これが夢だと教えてくれたのも彼女だった。
 ではこれは、あの日の夢の続きなのだろうか。
 伸ばした手の先に、氷の花が落ちてくる。水晶よりも美しく輝くそれは淡く輝きを放ち、パキンと音を立てて崩れていった。

「あの子、想いを封じた」

 とろけるような声音にはっとして振り向いた先に、あの女が立っていた。氷と同色の薄青の衣を纏い、裾を引きずりながらゆっくりと近づいてくる。
 衣と同じく地面につきそうなほど長く伸ばされた蒼い髪のあちこちに氷の花を飾り、彼女は赤く色づいた唇に微笑を乗せた。人形めいた金の双眸が慈しむようにエルクディアを見つめ、小さく首を振る。

「時は進む。戻ることはできない。貴方、それを許されてはいない。あの子はもう、貴方を愛することができるのに。どうして貴方、あの子を拒むの」
「だから一体、なんの話を……」
「あの子、約束の地に帰ってきた。私の愛した場所にいる。けれどあの子、封じたのは、凍らせたのは、あの子自身。どうして? それは貴方であるべきなのに」
「あの子……?」

 前と同じだ。訳の分からないことばかり投げかけられ、結局話が見えてこない。不安感が胸を渦巻いたのか、腰に佩いた剣に手を伸ばしたのは無意識だった。
 ――パキン。
 氷にひびが入るような音がして、手のひらに痛みが走る。ぱっと手を引いた瞬間、赤い雫が氷の大地を汚した。ぱたぱたと落ちていく血の跡が、赤い花のように広がっていく。
 怪我をしたことよりも、愛剣が氷のそれへと変貌し、あまつさえ触れただけで砕けてしまったことに驚いた。絶句するエルクディアの手を、女の手が優しく掬い上げる。



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