3 [ 624/682 ]


「……人間ほど恐ろしい生き物はないわ」
「どうもありがとう、魔女さん。――ああ、そうそう。どうしてあの子が竜に攫われたのか、今はまだ聞かないでおいてあげるね。こればっかりはさすがに分からなかったから、ぜひとも聞かせてくれると嬉しいな」

 屈託のない“恫喝”を振り払うように、レイニーは外套を翻して露台(バルコニー)から身を投げ出した。
 露と消えたその影に、歓声を上げたのはたった一人だけだった。


+ + +



 乾いた風から、やや水気を孕んだ湿った風へと変わる。砂地ではなく、鬱蒼とした静かな森の中をシエラ達は進んでいた。
 タラーイェの手引きでウィンガルドの力を借り、今一度竜の国を目指すと告げても、バスィールは顔色一つ変えずに「姫神様のご意思なれば」と頭を下げただけだった。バスィールにとっては、たとえそれがいかなる決定であっても、シエラの決定したことならば過程などは些末な問題にすぎないようだった。
 砂漠の国にあるとは思えない、青々とした森の奥深く。指定された場所で待機していると、風の中に冷たく刺さるような気配が混じった。風をつかさどる竜ウィンガルドの気配だ。
 タラーイェは、かの竜と関係があることは姉のアリージュには絶対に内緒にするようにと、シエラ達に強く約束させた。そうしなければ取り次がないとまで言い、彼女は頑なに秘密を守らせたのである。
 小さな人の子と立派な竜の間に、一体どのような絆が育まれたのだろう。なんとはなしに見上げた頭上には、芽吹いたばかりの新緑の若葉が揺れていた。

「ねえシエラぁ、ほんとーにまた上に行けるの?」
「ああ。竜が手伝ってくれるらしい。だが、その……」

 言葉に詰まるシエラを、ルチアが不思議そうに見上げてくる。
 タラーイェが言っていた。ウィンガルドは、バスィールとルチアを好かないだろうと。その理由は分からないが、彼らをこの場に連れてきてもよかったのだろうかと、一抹の不安がよぎる。
 詳しく話を聞いておきたかったが、タラーイェは「怪しまれると困るから」と大人びた口調で言って、余計な口をきく暇を与えてはくれなかった。朝食が終わるなりさっさと自室に籠もられてしまい、結局シエラ達は彼女抜きで待ち合わせの森の中に訪れたのである。
 すぐ近くに砂漠があるとは思えないほどの緑の中に、淡く幻想的な光の珠がぽうっと浮かび上がる。昼間の陽光の中でもはっきりと見て取れるそれは、ウィンガルドが姿を現す兆候だった。

「おせーよ、クソトカゲ」
「やめろフォルト、聞こえたら喰われるぞ」
「十分に聞こえている。それが望みだというのなら、今すぐ縊り殺してやるぞ」

 おぞましい唸り声のすぐあとに風を切る音が聞こえ、咄嗟に両腕で顔を庇ったフォルクハルトの頬に一筋の赤い線が刻まれた。つうっと垂れる血の糸に、「だから言わんこっちゃない」とヴィシャムが呆れたように首を振った。
 春先の芝生のように鮮やかな黄緑の髪が躍り、目に見えない空気の鎧を纏ってウィンガルドがふわりと上空から着地する。明るい場所で見ても、群青の瞳は爬虫類のそれであることを除けば、彼は人間と変わらないように思えた。
 彼はルチア、テュール、そして最後にバスィールに目を向けて心底不快げに舌打ちした。特にバスィールを見る目がひどく、まるで汚物でも見るかのようだった。
 無言のままウィンガルドとフォルクハルトが睨み合ったそのとき、シエラの足に熱が宿った。ぎゅっとしがみついてきたのは、人化して柔らかな四肢を持つテュールだ。小さな子どもは左右異色の瞳を潤ませ、不安げな表情でシエラを見上げてくる。

「……しえら。てゅーる、このりゅう、こわい」
「え? 大丈夫だ、私がいるから。不安なら懐に入っていろ」

 こんな風にテュールが怯えることなど、今までなかったというのに。
 己の数倍大きな魔物にでも立ち向かっていった時渡りの竜が、風竜を恐ろしいと言う。音もなく竜の姿に戻ったテュールは、ぐるぅと小さく鳴いてシエラの神父服の胸元へと飛び込んできた。外套(コート)の前を軽く開けてやり、いつでも顔が出せるようにしてやる。
 テュールが収まったことによってややいびつに胸元が膨らんだが、動きに支障はない。話を進めようと顔を上げたシエラは、己に突き刺さる複数の視線を受けてはたと動きを止めた。
 見れば、ヴィシャムが苦笑し、フォルクハルトが呆れたように口を開けている。ライナに至っては頭を抱える始末だ。


[*prev] [next#]
しおりを挟む


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -