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 冷たい双眸と目が合った瞬間、エルクディアの背筋に氷が滑り落ちていった。
 縦に裂けた瞳孔、驚異的な身体能力。歴戦の騎士を戦慄させる気迫。これらはまさに、戦闘種族を誇る竜族のものではないか。
 もしも本当に竜族だとすれば、ただの人間であるフェリクスやエルクディアがまともに戦って敵う相手ではない。数でものを言えば可能性はないとはいえないが、三対二と数で劣っている今の状況では、ただ逃げるだけでももってあと数分だ。

「ぐっ……! 退くぞエルク! 相手は竜だ! それもホンモン(本物)の! 俺らだけでどうにかなるもんじゃねェ!」

 走りながら叫ぶという、たったそれだけでフェリクスの息が上がっている。ようやっと起き出した人間の体力など、高が知れていた。これ以上戦闘を長引かせるわけにはいかない。
 フェリクスに向かって放たれた輪の刃を馬を寄せたエルクディアが渾身の力で打ち、軌道を反らす。そのたった一撃で、腕は肩までじんと鈍い痺れが走った。
 砂塵を巻き上げ、無様なまでに必死でひた走る。見苦しいと笑う奴は笑えばいい。世間体や体裁などに構う暇などあるわけがない。
 今はとにかく逃げるしかない。生きる。最も優先されるべきことは、それだった。
 敵の目的がまったく分からない。なぜ自分達が狙われるのか、なぜ彼らはなにも言わないのか。
 確かに竜は雑食だが、人間を狩りの対象とする話は聞いたことがない。
 小さな柵を飛び越えたとき、フェリクスの身体がぐらりと揺れた。咄嗟に手綱を掴んだようだったが、それでも巨躯を支えきることはできなかった。馬上からフェリクスの身体が転がり落ちる。直前で体勢を整えたために受け身は取れたようだったが、その動作だけで相当な体力を消耗したはずだ。

「フェリクス! 今引き上げる!」
「いいから行けっ、ボウズ!」
「できるわけないだろ!?」

 突き出された槍を受け止め、渾身の力を込めて槍先を叩き切った。
 外套を纏った三人が、距離を取ってその場に静止する。

「人の姿でこれってことは、竜化したらどうなるってんだか」
「勘違いするな」

 冷や汗を滲ませながらフェリクスが零したその一言に、それまで沈黙を守っていた竜族の男が毅然として言い放った。
 斬りつけるような物言いに、ぴりりとした怒気が宿っている。声は低く、唸るような響きを持っていた。

「我ら竜はヒトの形を模したのではない。白き名を持つ創世の神の御姿を模したのだ。この姿を得ることができるのは、力ある竜だけだ。我らは我らと我らの世の理において、この身を変える」

 しかし、と吐き捨てるように竜族の男は言った。

「下等なヒト族の分際で、神の御姿を得られぬか弱き竜を狩るようになった。しかし、それは弱きが悪だ。我らの世の理は、ヒト族を責めるべきではないとする」
「……だったら、なァんで俺達を襲う?」
「我らの世の理は、ヒト族を恨み、憎むものではないとしている。なれど我らは、違う」

 痣にも見える鱗を頬に浮かび上がらせて、竜族の女が一歩前に進み出た。
 エルクディアに向けられた目には、まぎれもない憎悪の念が込められている。

「我らと我らの王は、ヒト族の振る舞いに耐えかねた。そして、我らの王がお前を指名した。ヒトの分際で我ら竜を名乗る愚か者。ヒトの分際で我ら竜族を自らのものとする痴れ者。我らの王に、耐えがたき恥辱を与えた“裏切り者”。我らと我らの世の理に悪害を及ぼすものを、排除せよと」
「なっ……、こじつけだろォが!! エルクが“竜騎士”っつわれてんのが気にいらねェってことか!?」
「我らはヒト族の称号には興味を持たない。なれど、その者は許されない。我らと我らの世の理に則って、排除する」

 なんて狭量なとフェリクスが舌を打ち、片腕で大剣を構えた。万全ではない状態で真正面から対峙したところで、これでは一撃を防げれば上々だ。
 ――これが竜か。
 エルクディアの脳裏に浮かんだのは、竜の加護を得るために旅立ったシエラ達の姿だった。彼女達は、こんな生き物の巣窟へと旅立ったのか。
 竜とはすべての生き物の中で、最も生態が知られていない、孤高の生物だ。人間に関わることもなく、絶対的な強さを持ってこの世に君臨している。人間は無論のこと、多種族とのかかわりを持つことなく生きてきたはずだ。
 それがなぜ、人間の小さな肩書き一つにこうも目くじらを立てるのだろう。なにより、竜の名を冠した人物はエルクディアだけではない。
 たったそれだけの理由で食ってかかるにしては、随分と“人間じみすぎている”。
 疑問ばかりが渦巻く胸中を見抜いたかのように、竜族の女が鼻を鳴らした。巨大な輪状の刃を操っていた女だ。短い髪は不思議な色をしていた。薄緑に見えるが、時折青や紫に色を変えている。その色は、朝日の零れる森の中、若葉や花の影が落ちた泉を連想させた。
 どうやらこの中では、この女が最も発言力を持つらしい。人間とは明らかに異なる縦に割れた双眸で強くねめつけ、女は唸るように言った。

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