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 石像に命が宿る。血肉を与えられ、硬い石の肌は柔らかな皮膚と熱を持つ。
 当然だ。バスィールは石像でも人形でもない。
 どれほど感情を削ぎ落そうと、心そのものは消し去れない。
 外見上はなんの変化もないように見えるバスィールだが、シーカーからすればその変わりようは一目瞭然だった。獰猛な獣が茂みに身を隠し、息を殺して鋭い牙を研いでいる状態となんら変わらない。気を抜けば一足飛びに飛びかかられ、喉笛を食いちぎられるだろう。
 錫杖を握る指先が僅かに色を変えているのを見て、シーカーは咄嗟に笑い声を飲み込んだ。 

「姫神に伝えてやらねばならんか。おぬしとて男。――忠犬がいつ狼となるやもしれん、と」
「シーカー!」

 洞窟に落ちる雫のように静かだった声が、一瞬にして怒気を孕んだ。闇をも払うその声と共に、ひゅっと空間を切り裂いて錫杖の先が迫る。シーカーの喉元を明確に狙って突き出されたそれを、彼は大きな手のひらで受け止めて握り込んだ。
 鋭い痺れが手のひらから腕を駆け、やがて全身に伝わっていく。
 こちらを睨む紫銀の瞳の奥には炎のような揺らめきが見え、シーカーはついに我慢しきれず腹を抱えて笑った。

「はっは! よいよい、実に重畳。オリヴィニスの高僧は人形じみていていかん。そうしておる方がよほどいいわ。のう、マスウードの子よ」


+ + +



 神の後継者達がオリヴィニスの地へ向かったことを知る高官達は、会議の場で口を揃えて「なぜ連絡が来ないのか」と言った。これだから専門の外交官を同行させればよかったのだとこれ見よがしに呟く者や、シエラには自覚が足りないと謗る者もいる。
 和やかな空気とはほど遠い現状を、玉座の上から青年王は静かに見つめていた。

「せっかくオリヴィニスという国を知る好機だというに……」
「細作を放ったところで、国境付近で見つかってご丁寧に送り返される始末だ。いかな手練れとて、未だかの国の土を踏んだ者はおらん」
「しかし今、我が国の人間があの地に赴いておるではないか! 不可能では、……そうだ、不可能では、ない」

 激情に任せて腰を浮かせたギーツェン伯爵が、ふいにはっとした顔をして独り言を零した。急変したその様子に、誰もがどうしたと目を向ける。
 それはユーリとて例外ではなかった。ただ、このとき青年王は、こめかみのあたりをくすぐった嫌な予感に、ほんの一瞬反応が遅れてしまっていた。口を挟もうとした矢先、ギーツェン伯爵の表情が笑みに染まる。

「不可能ではないのですよ、陛下、各々方! 容易くあの国に向かえぬというのなら、結びつきを深めてしまえばよいのだ」
「結びつき? そんなもの、どうやって……」
「シエラ様はお若く、そしてなにより美しい。マクトゥーム殿がお傍から離れんのも、“そういった”理由もあるのだろうて。のう?」
「おお……! ああ、そうだ、伯の仰る通りだ。あの二人ならばお似合いだ」

 ギーツェン伯爵の提案に、それまで睨み合っていた高官達が途端に相好を崩した。誰もが伯爵の案に賛同し、名案だと褒め称える。
 今まで一切の繋がりのなかったオリヴィニスという国からやってきた、唯一の架け橋。それがバスィールだ。
 彼はシエラを守るためにアスラナに来たとはっきりと明言しており、片時も傍を離れようとしない。シエラが魔導師達に拉致された――実情は少々異なるにしても――ときでさえ、彼は常に隣にあり続けた。
 老獪な男達の笑みが、さらに深みを増していく。

「シエラ様も年頃の娘。都合してやってもよい頃ではないか」
「それはよい提案ですな。きっとお喜びになりましょう。後継者様とて、マクトゥーム殿から離れたくはないでしょうし」
「なんと似合いの二人だ。ああ、今まで気づかなんだとは、年は取りたくないものですな」
「いや、まったくだ!」

 からからと笑いながら、彼らはシエラをバスィールの嫁にしろと言う。もはや決定事項のような口ぶりで進められていく話に、あまりのことに唖然としていたユーリがようやく口を挟んだ。

「待ちたまえ。マクトゥーム殿は僧侶であられる。あの国の法に照らせば、結婚はできないはずだよ」
「還俗すれば済むことです、陛下。神の後継者というアスラナの宝を、それもあれほどの美人を娶ることができると聞けば、男なら躊躇うことはありますまい」



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