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再び睨み合ったイェルネとタドミールに、ついにヘラスが一喝した。びりびりと大きく響いたその声に、二人は渋々口を閉ざす。
イェルネとタドミールの不仲は今に始まったことではない。そもそも、オークらと親しい者など、闇の中にもそういなかった。
オークは純粋に闇から生まれた一族ではないのだ。大きく魔族と一括りにしていても、彼らは一線を画している。
地底を住処とするオークらは、レフィクルと違って“眠りの時”を一緒としない。力は弱まれど、彼らは世界に蒼い光が満ちてもなお活動を続けることができる。だからこそオークらは自分達こそ最強の種族であると公言してはばからなかったし、他の魔族は彼らの持つ醜い容姿と臭気、そしてその気質に嫌悪を抱くことが多かった。
「少しは頭を使って考えるといい。オリヴィニスが我らの侵攻を阻むのは昔からだ。竜は無論のこと、あの地そのものが我らを遠ざける。――いかな破壊の王とて、蹂躙することは容易くない」
「アンタらは眠っていたから分からんかもしれねぇが、“アイツら”も血を絶やしたって話だ。あとは穢れを滲ませてやりゃあいい」
「黙って聞いておればっ! 不遜がすぎると言うておろうにっ!」
「――よい、イェルネ。タドミールの言うとおりだ」
軽く手を振ってイェルネを制したレフィクルに、タドミールは小さな目をきらりと光らせた。少女の拳ほどもある鼻の穴を膨らませ、臭気に満ちた息を吐く。
「オリヴィニスは滅ぼさねばならぬ。必ず。あの地ある限り、すべては終わらぬ」
「は。我が君の仰せのままに。……此度の姫神は脆弱です。好機かと」
蒼い光を纏った、忌まわしき“まがいもの”。
姫神ほど哀れな生き物を、ヘラスは他に知らない。
とかく今の姫神は、かつてないほど力が弱い。未だ覚醒もせず眠り続けているのを見るに、はじまりの神の力もついに尽きてきたというところだろうか。
ならば今こそ好機だ。姫神を打ち倒し、オリヴィニスの地を闇に染め上げなければ。
深い闇の中に笑声がいくつも零れた。誰もが皆、姫神の死と蒼い世界の終焉を想像し、その胸に歓喜を満たしている。
玉座に座るレフィクルが、やがてぽつりと零した。
「……翼の気配が強くなってきた。覚醒の時も近い。今は我らであの地を相手取るよりも、先にしなければならないことがある。――だろう、ヘラス」
「はい、我が君」
「人の子の分際で魔の力をものにしようなど、あまりに許しがたきこと。言うまでもなく、許してはならぬ。黒鳥を生きて捕らえ、あるべき道へ呼び戻せ。“あの者ら”がまこと滅びたのであれば、柱を見つけるまたとない好機だ。その鍵を、黒鳥が握っている」
「早急に」
「黒鳥さえ得られれば、あとは容易い。竜とて幻獣。どれほど強かろうと、清らかな生き物であればやがて魔に堕ちる」
レフィクルは静かに息を吐き、背後に控える闇の塊に視線を向けた。
「だろう、アネモス……?」
玉座の後ろに首を巡らせ、レフィクルはうっすらと笑みを浮かべた。徒人であれば視認できなかったであろう暗闇の中に、より一層暗い漆黒の影が佇んでいる。そこに浮かんだ二つの赤い輝きが、二度三度と明滅し、やがて目を焼くほどの光を全身から放った。
水晶の塊のような尾の先が赤々と輝いている。漆黒の鱗を持ったそれは、巨大な竜だった。
孤高の気高さは消え失せ、邪悪な光を纏うその姿は、清らかな幻獣からはほど遠い。闇に堕ちた邪竜は穢れを撒き散らし、数多の血を望む。鋭い牙を生きた獲物に突き立てることばかりを望む獣に、レフィクルは冷ややかに命じた。
「さあ、ゆけ。――この世に、終焉を」
+ + +
始まれば終わる。
終われば始まる。
世界は巡り、時は流れる。
この血は愛された。
そして、この地もまた、愛された。
ならば、終わらせることはできない。
再び始まるのだとしても、始まりなき終焉など迎えてはならない。
ゆえに彼らは、蒼に誓った。
+ + +
「落ち着かぬ様子だな、我が友。いかがした」
「……姫神様がおられない」
ほんの僅かに眉を寄せて呟いたバスィールに、シーカーはにたりと口端を持ち上げて膝を打った。
開け放した窓から夜風が吹き込み、二人の髪を撫でていく。壁に掛けられた燭台の炎が吹き消され、辺りには静かな闇が根を張った。大男に腰掛けられた窓枠がぎしりと鳴いたが、壊れたところでシーカーは気にも留めないのだろう。
彼の意識は、今やバスィールにのみ傾けられていた。