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「手伝ってくれや、嬢ちゃん。まだ慣れてねーんだわ」

 ――どうして。どうして、そんな風に笑えるのだろう。
 言葉にできない思いを抱えながら、ソランジュはフェリクスの着替えを手伝った。だらりと垂れ下がったままの左袖があまりに痛々しく、直視できずに視線を泳がせる。
 伸び放題だった髭を剃って髪を整えたフェリクスはこざっぱりした表情で笑い、失くした腕を憂う様子など見せずに医務室を後にした。
 その広い背中が、どこか遠い。彼を形作るものが足りない。そう思うのは、きっとソランジュだけではないだろう。
 目が覚めてからのフェリクスの回復は早く、起きて話せるようになるまでそう時間もかからなかった。食事ができるようになると今度は歩きたがり、まだ安静にと訴える医官達の言葉を無視して寝台(ベッド)を抜け出すようになったのも、目が覚めてからほんの数日後のことだ。今ではもう、おとなしく眠る時間の方が珍しくなっている。
 眠り続けていたせいで低下していた体力もすぐに回復し、弱っていた筋力を驚くべき早さで取り戻した。
 誰もがその様子を奇跡だと言う。
 さすがは十番隊の隊長を務める男だと。
 他の騎士達も言っていた。あの惨状の中、腕一本で済んだのは幸運だったのだと。
 それを耳にするたびに、ソランジュは怒鳴り散らしたい思いに駆られていた。
 どこが奇跡だ。なにが幸運だ。
 フェリクスは大切なものを失くした。唯一無二のものを失ったのだ。
 ソランジュの前で、彼は一切泣き言を漏らさない。失った左手を不便だとは言っても、胸を引き絞るような嘆きは、ただの一言も口に出さなかった。
 それがすべてなのだと思えるほどソランジュは子どもではなかったし、そこまでフェリクスを大人だとも思っていない。人間として抱いて当たり前の負の感情を彼が吐露しないことに、こんなにも焦燥感を覚えるとは思いもしなかった。
 たった一言でいい。たった一言、その胸の内を明かしてくれたのなら、どれほど救われるのだろう。

「おー、随分と日差しがあったけーな」
「クラウディオの雪はもう全部溶けましたから。山あいはまだ残ってるみたいですけど、それもこの調子だとあっという間でしょうね」

 春の花が咲き誇る中庭を、フェリクスの斜め後ろに付き添ってゆっくりと散策する。なにかあったときに支えられるようにと、気がつけば左側に立つのが癖になっていた。
 そんなソランジュの心配を一蹴するように、フェリクスはしっかりとした足取りで庭園を進んでいく。

「……ああ、もう咲いてんのな」
「え?」
「ケリアの花。これ、後継者サマの思い出の花なんだと。春になったら見せるんだって、前にボウズが言ってたんだよ」
「シエラ様の、思い出の花……」

 愛らしい黄色い花を前にして、ソランジュの胸によぎったのは苦い思いだ。
 フェリクスの災難に関して、シエラが悪いわけではないことくらい理解している。それでも心が追いつかない。彼女はこの世にただ一人の神の後継者で、救いをもたらす存在のはずだ。
 なのに、彼女は助けてくれなかった。救ってはくれなかった。
 命だけでもと切望していたのは自分なのに、その命が繋ぎ止められると、さらなる高みを――完璧を望む自分がいた。
 どうして、彼をもとのまま救えなかったのか。もっと他に方法があったのではないか。
 ゆらゆらと揺れる袖を見ながら、そんなことを考える。

「こら嬢ちゃん、なーに暗い顔してんだ?」
「ひゃっ! せ、せんせっ?」
「どーせ、まーたくだらねーこと考えてんだろ。うん? ほーれ、白状しろ。なーに考えてたんだ?」
「なっ、なにも、――きゃあっ!」

 ふに、とソランジュの鼻をつまんだフェリクスが、意地の悪い笑みを浮かべて口籠るソランジュの腰を引き寄せてきた。
 一瞬で足裏が地面から浮かび上がり、そのまま宙にさまよう。ぽんっと軽く跳ね上げられ、尻の下に逞しい腕の感触を感じたときには、前よりも少し痩せたフェリクスの顔を見下ろすようになっていた。
 その肩に手をつき、至近距離で目を合わせる。困惑がソランジュを満たしていたけれど、どきりと高鳴る胸に落ちたのはそれだけではない。
 深い琥珀色の瞳が、眩しそうにソランジュの瞳を覗き見た。


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