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「違います、陛下。少し、考え事をしておりました。……せっかく離宮までおいでくださいましたのに、申し訳ございません……」
「気にすることはないよ。いつもの娘が見当たらないけれど、君の心を占めているのは彼女のことかな?」
「……はい。陛下にはすべてお見通しなのですね。フィーネさんの体調が芳しくなく、なにかわたくしにできることはないかと」
「それは心配だろう。見舞いの品でも届けておやり。薬でも花でも果物でも、好きなものを選ぶといい」

 数日ぶりに花離宮に訪れたユーリは、離宮の食堂に飾られた愛らしい花を眺めながらそう言った。
 王妃専用の離宮というだけあって、花離宮はとても美しく広大な敷地を誇っていた。古くからアスラナ城では王妃のための離宮として存在していた場所だが、田舎育ちのクレシャナを慮ってか、あちこちに南国の植物が飾られている。庭の池には、一体どうやったのかララの花まで咲いていた。
 美しい海の中にしか咲かない花が、どうしてこんなところに咲いているのだろう。
 フィーネからその存在を聞いたときは、本当に理解ができなかった。実際にこの目で見ても、未だに現実味がないほどだ。
 クレシャナが過ごしやすいようにと日々整えられていく離宮に、ユーリはさほど足を向けない。それをどこか安心する自分がいる一方で、ほんの僅か、胸の奥が軋むような感覚を覚えていることが不思議でならなかった。

「勝手の分かる侍女が不調とは、さぞかし心配だろう。けれど、あまり気負いすぎてはいけないよ。君まで身体を壊してしまっては、元も子もないのだから」
「はい、陛下。ですが、ご心配なさらないでください。わたくしは、昔から身体だけは丈夫にできておりましたので」
「おや。それは実にいいことだ。王都は故郷とは随分と違う気候だろう。肌に合わないのではと気にかけていたから、それを聞いて少し安心したよ」
「王都の春は、島とはまた異なるぬくもりを運んでくるのですね。とても心地ようございます」

 千切ったパンを咀嚼していたユーリが、うっすらと口元に笑みを刻んだ。指先から零れ落ちたパンくずが、皿の上に散る。たったそれだけのことなのに、聖砂が零れたように思えるのだから不思議だ。精錬された美しさがそこにはあった。
 対して、自分はどうだ。行儀作法こそかろうじて見るに堪えるものではあるが、内から滲み出るものは一朝一夕で変えることはできない。
 あまりにも不釣り合いだ。そこまで考えて、クレシャナは心の中でひっそりと苦笑した。釣り合う必要などないのだし、釣り合おうと思うことすらおこがましい。
 自分達は偽りの夫婦なのだ。彼が真実の妻を求めたとすれば、そのときは見目麗しい才女が隣に並ぶことだろう。

「今宵はここに泊まる予定だったのだけれど……」
「えっ、あ、はいっ」
「残念ながら、急用が入ってしまってね。そろそろ失礼するよ。今宵の夕餉は、とても美味しかった」
「あ……、はい。ご多忙のところ、申し訳ございません。それでは、お見送りを……」

 いつの間に食事が終わっていたのだろう。
 気がつけば、クレシャナは食後の紅茶を飲み終えており、空のカップをソーサーに戻したところだった。
 今日の自分は、よほどぼんやりとしていたらしい。気分を害した風もなくユーリは離宮を後にしたが、気づかぬ間になにか不作法を働いたのではと、聖衣の背中を見送るうちに不安になった。
 今日はもう早めに寝よう。湯浴みの準備を整えてもらうべくフィーネに声をかけようとして、彼女は今いないのだと思い出して言葉を呑む。別の侍女に頼んだところで、どっと疲れが押し寄せてきた。
 青年王と話したあとは、いつもこうなる。自分でも知らず知らずに緊張しているのか、別れた途端に全身から力が抜けていくのだ。
 ゆったりとした大きな寝椅子(ソファ)に身体を沈めていると、傍に控えた侍女が物言いたげにこちらを見つめていることに気がついた。王妃となってから専属となった数名の侍女のうちの一人だが、彼女はまだ年若く、世話役というよりも良き話し相手となるようにといった目的で抜擢されたらしい。

「エミリーさん、どうなさいました?」
「あ、いえ、……その、陛下は少々、お忙しくしすぎだと思いまして」
「ええ、本当に。お身体が心配です」
「それはもちろんのこと、妃殿下のこともです!」

 力強い口調と予想だにしない言葉に、クレシャナの瞳が満月のようになった。


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