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「マスウードの子。我が友。おぬし、いささか機嫌が悪いな。私が姫神に近づくのが、よほど腹に据えかねると見える」
「わっ」

 にやりと吊り上がる唇の端を追っていたシエラの身体が、急に引き寄せられて均衡を崩した。どうやったのか一瞬でシーカーの膝の上に座らされ、神父服の割れた裾から覗く太腿にごつごつとした手が乗せられる。反射的に離れようとした腰を強く抱かれ、分厚い胸板に頬がぶつかった。こめかみに触れる顎髭がくすぐったい。
 くたびれたシャツの隙間から、ゆっくりと上下する胸元が見えた。鼻先をくすぐる男の香りに、かっと血が昇る。
 太腿を這う手のひらの熱を歓迎できず、平手打ちでもしてやろうかと顔を上げたシエラの目の前に、冷ややかな金属の輝きが現れた。

「――姫神様に触れるな。そなたの振る舞いは不遜に過ぎる。これ以上の狼藉は、いかな友であろうとも許されない」
「おお、怖い。これは失礼したな、姫神よ。しかしおぬし、ちと痩せすぎではおらんか。もう少し肉をつけんと、子を産む際に苦労を、」
「シーク。そなたは私に、友の喉を貫けと申すのか」
「む……」

 バスィールの錫杖の先が、シーカーの喉仏にぴたりと押し当てられている。震えも躊躇いもないそれは、宣言通りいつでも喉を貫いてみせそうだった。
 感情の見えない声だからこそ余計に恐ろしい。淡々としていながらも怒りの透けて見える言葉に、シーカーは苦笑交じりに両手を上げてシエラを解放した。
 膝から降りて距離を取るなり、ライナにぎゅっと抱き締められる。紅茶色の瞳が批難の色を宿してシーカーを睨んでいるのを見るに、どうやら彼女も怒りに燃えているらしい。
 水を打った様に静まり返った食堂で、バスィールはシーカーに据えた錫杖を下ろそうとはしなかった。そのまま彼の喉を軽く突き、視線だけで立つように促す。
 立ち上がる前に再びジョッキに伸ばされた手を、バスィールは今度こそ容赦なく打ち据えた。赤く色の変わった手の甲をさすって痛がるシーカーに一度背を向け、軽く振り返って紫銀の眼差しで彼を射抜く。
 その瞬間、ほんの一瞬ではあるが、極彩色の衣が風もないのに揺らめいたように見えた。

「こちらへ。話がある」
「……うむ。どうやら否やを唱えられる状況ではなさそうだな。従うとしよう、我が友。――さて。おぬしらはゆるりと晩餐を楽しまれよ、神の子らよ。特に時渡りの子は、これなる杯で酒でももらうがよい」

 食堂から二人の姿が消えるなり、誰もがほうっと息を吐いて緊張を解いた。状況が気になったのか、ヴィシャムとフォルクハルトもこちらのテーブルへと移ってくる。六人で囲んだテーブルはさすがに手狭に感じたが、もう食事はほとんど終わっていたので問題はないだろう。
 テュールの前に置かれた杯を見て、ヴィシャムが目を丸くさせた。

「それは、今の人が? 随分と豪華なゴブレットだな」
「きん! あと、るびーもあるよ。てゅーる、すき。これ、おいしい」
「このゴブレット一つで、ホーリーの戦艦一隻が買えるでしょうね。……こんなものをあっさり子どもに渡すだなんて、一体どういう方なんでしょう」
「大方、山賊かなんかじゃねーの? 旅の者だなんだっつってたろ。途中で墓でも荒らしゃ、宝の一つや二つ手に入るだろうよ」
「シーカーさまは賊ではありません」

 フォルクハルトの前にどんっとジョッキが置かれ、酒が散った。濡れた指先を舐めるフォルクハルトを、酒を運んできた女が強く睨む。

「そのような下賤のものと、一緒になさらないでください。自らの目利きの悪さを知らしめるだけですよ」
「……なんだぁ、お前?」
「フォールト。女性相手にそう凄むな。――貴女は、この屋敷の方だろうか?」
「いいえ。アリージュと申します。この子は、妹のタラーイェ。長から、皆様方のお世話をするようにと特別に仰せつかって参りました。何卒お見知りおきを」
「ご丁寧にどうも。ご存知だろうが、俺はアスラナ王国の祓魔師、ヴィシャム・ドナートという。それでこっちの小さいのが、同じく祓魔師のフォルクハルト・カペルだ。気軽に『ワンちゃん』とでも呼んでやってくれ」
「誰が犬だって!? ざっけんな、クソ虎野郎!」

 フォルクハルトは飽きもせずヴィシャムに掴みかかったが、当然のごとくさらりと受け流された。唸る野犬に嫌悪感を抱いたのか、アリージュの瞳がより一層細くなる。


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