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「我らが王のもとへ案内しよう」
男はそれだけ言うと、宮殿の中へと颯爽と踵を返していってしまった。思わず、シエラとライナが顔を見合わせる。唯一気にした風なく歩んだのがバスィールとルチアだ。彼らについていくように小走りで長い廊下を進み、シエラはますます竜に対する思いが複雑なものへと変化していくのを自覚した。
窓ガラスは美しい彫り物がなされ、採り入れた光が壁や床に結晶のような模様を描いている。途中擦れ違ったおそらく竜であろう男女も、その誰もが人の形を取っていた。確かに元の竜の姿では、この宮殿で暮らすことはできないだろう。
人化することによって、彼らは独自の文明を築いている。そんなことを考えたのは、開けっ放しの扉から覗き見た部屋が書庫になっていたからだろう。羊皮紙が机の上に広がり、インク壺が置かれていた。
これではまるで、人間と変わらない。
アフサルは竜と人は異なる生き物だと言っていたし、シエラ自身、同じであるはずがないとも思っていた。だが、これはどうだ。他国の城を訪れたのと感覚はそう変わらない。前を歩く竜だって人間と同じ姿をしているのだから、余計にそう思う。
「姫神様。この宮殿は、かつてオリヴィニスの大工が建てたそうです」
「竜王が暮らす宮殿を人間が? それはまるで……」
支配する側と、される側。主人と奴隷。王と平民。
そんな言葉が浮かんだが、シエラは黙って先を目指した。オリヴィニスの民はおそらく、シエラ達からは考えられない関係を竜との間に築き上げているのだ。主従にも似た関係ならば、こうして容易く宮殿まで足を踏み入れることができるはずもない。
武装した男達が並ぶ廊下に差し掛かると、嫌でもその気配を感じて心臓が跳ね上がる。
荘厳な扉の向こうから、ひしひしと刺すような神気が伝わってきた。ライナは言うまでもなく、ヴィシャムもどこか緊張した面持ちだ。相変わらず面倒くさそうな顔でフォルクハルトは背を丸めていたが、僅かに眉根が寄ったのをシエラは見逃さなかった。
ルタンシーンほどの激しさはないにせよ、苛烈な神気は肌に痛い。
「姫神様。これより先、竜王がおられます。どうぞ、お進みください」
バスィールが言うなり、門番が扉を開けた。彼らもまた竜なのだろう。斬りつけるような冷たい眼差しがシエラ達に注がれる。
扉が開いた瞬間、肌を刺す神気が濃さを増した。光が溢れる。磨き抜かれた黒い大理石の謁見の間、その上座に、重厚な造りの玉座が据えられている。
長い足を見せつけるように組み替えた男が、遥か高みよりこちらを睥睨した。目が奪われる。一瞬呼吸の仕方を忘れ、誤魔化すように一歩踏み出して彼を見上げた。
見た目はまだ若い。エルクディアとそう変わらない年の頃合いだ。――無論、竜が見た目通りの年齢であるはずがないのだけれど。
「お前が、……貴方が、竜王か」
いつもの調子で話しかけ、ライナの咎めるような視線を後ろ頭に感じて、シエラは言葉を改めた。玉座の男はふんと鼻を鳴らし、つまらなさそうにこちらを見下ろしている。
水色の髪が風もないのに揺れ、深い青の双眸がすうっと眇められた。まるで空の色だ。髪も、瞳も、そのどちらも併せ持つ空の中を、先ほど飛んできた。
違うと分かっていても、どうしても拭いきれない感覚が胸に残る。
「――お前が姫神か。この俺に、一体なんの用だ?」
“これ”は人と、どう違う。
back(2015.0913)