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 浮かぶ純白の塊に向かって、大鳥は翼を広げる。羽ばたく音が耳に痛い。綿のような雲が目の前に迫っている。見た目通りの質感がするのかと思っていたのに、そこには靄ばかりでなにもなかった。通り抜けたところで、しっとりと身体が湿っただけだ。
 視界の不明瞭な雲の中を飛び続け、やがて大鳥はその雲すら眼下に望むほどの高みまでやってきた。もうそこから町は見えない。あるのは雲の海と、島のように突き出た山々の頂だけだ。

「……あっ」

 影が見えた。
 眼下の雲に落ちる、大きな影を。
 どこからか低い咆哮が聞こえてくる。風の匂いが変わった。
 生い茂る緑、咲き乱れる花、広がる湖、落ちる滝、溶岩を溜めた火山、水晶の洞窟。
 どれもがシエラの知らない世界だ。
 青い世界の中に、様々な色が溢れている。その一つ一つに触れることができたら、どれほど楽しいのだろうか。この地はこんなにも心地がよく、心が躍る。シエラのすぐ隣で大きく一回転して青い炎を口から吐いたテュールが、愛らしい雄叫びを上げた。それが聞こえたのか、遠くで竜の咆哮が呼応する。

「姫神様、じきに着地致します。衝撃へ備えてください」
「分かった。ルチア、しっかり掴まっているんだぞ」
「はーい!」

 ライナがひっと息を飲む。大鳥は一度高く上昇し、その姿を見せつけるように大きく翼を広げた。眼下には地上と見紛う広さの平地が広がり、木々の向こうに荘厳な建物がちらりと見えた。
 岩場が動く。――岩だと思ったそれが巨大な竜だったのだと、このときシエラ達はまだ気づいていなかった。



「ここが竜の国か? 原始的っつーか、なんつーか」
「自然豊かと言え、フォルト。野生の血が騒ぐなら走り回ってきてもいいぞ」
「犬扱いすんじゃねぇよ、クソ虎野郎!」
「ところでマクトゥーム殿、竜の宮殿とやらは上空から見えたあの建物ですか?」
「聞けっての!!」

 吠え立てるフォルクハルトに無視を決め込み、ヴィシャムは衣服の乱れを正して木々の向こうに目をやった。
 色鮮やかな鳥が木の実を啄み、足元を兎が駆けていく。美しいこの自然の中に、人工的な建物があるのをシエラもこの目で見ていた。
 バスィールの案内で進んだその先に、バルティアール僧院よりも一回り大きい宮殿がシエラ達を出迎えた。黒い石を削り出して立てたのであろうそれは、鮮やかな自然の中に異彩を放っている。細かな装飾はないが、不思議と魅せられる様相だった。
 そんな荒々しくも無骨さを感じさせない建物の手前に、巨大な岩が二つ並んでいる。
 一つは漆黒、一つは深紅。シエラ達が近づくと、岩はゆっくりと動き、その本当の姿を惜しげもなく披露した。見上げるほどの長躯、岩のように硬い鱗が並び、鋭い牙が口元を飾っている。大きな双眸は宝石のように輝いていたが、ひとたび睨まれれば恐怖に身が竦んだ。

「これが、竜……」
「さすがにデケェな。このちっこいのと大違いじゃねぇか」

 二匹の竜は人間の客をじろりと睨みはしたものの、威嚇や攻撃行動に出ることはなかった。どうやら、オリヴィニスの民が竜と共存しているというのは真実だったらしい。彼らはバスィールの僧衣を見るなり、興味を失くしたように再び身を丸めて元の岩のように動かなくなった。
 ひとりでに門が開く。奥の扉から現れたのは、苔を思わせる濡れたような深緑の髪色を持つ男だった。背は高く、身体つきは逞しい。アスラナではあまり見られない織り方の服を纏っているものの、彼はどう見ても“人間”だった。
 だが、近づいて分かる。髪と同色の瞳は瞳孔が縦に割け、人ならざる者の証をしっかりと刻んでいた。服から覗いた腕にはうっすらと鱗が走り、なにより漂う神気が聖職者のものとはまた異なっている。


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