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「具合は?」
「まあまあだな。薬のせいで眠くてしょーがねェ。こんだけ寝てっと、右腕の方まで腐りそうだ」
「……フェリクス。そんな冗談、間違ってもあの子の前で言うなよ」

 苦い顔で窘めると、フェリクスは口元をにやりと歪めて「おうよ」と笑った。

「ンなこと言ってみろ、嬢ちゃんが干からびちまう。……あんだけ泣かれると、思ったより堪えるわ。枕元で一晩中ずっと泣かれてみろ、あれは効くぞ」
「だろうな。あの子、心配しすぎてしょっちゅう泣いてるだろ」

 実際、ソランジュが泣き濡れているところを、エルクディアは今までに何度も目撃している。血の気なく眠り続けるフェリクスの傍らで、目を真っ赤にしながら小さな医官見習いは必死に彼を呼んでいた。一心不乱に目覚めを待ちながら、空色の瞳から数多の涙を流して。
 見ているこちらの方が胸が苦しくなるほどの懇願に、耐え切れずに部屋を出た騎士も何人かいる。彼らは皆重たい息を吐き、見ていられないと零していた。
 小さくか弱い、子犬のように純粋な女の子。彼女の想いが、フェリクスを現世に繋ぎ止めたのかもしれない。

「傷の痛みなんざより、あっちの方がよっぽど痛ェぞ。だからお前も、あんま泣かすんじゃねーぞー」
「……心配いらない。あの子は泣かないさ、強いから。きっと、泣いたりなんかしない」

 清流のように流れる蒼い髪に、夜空の月を填め込んだ金の瞳。凛とした立ち姿が脳裏に浮かび、よみがえったのは、柔らかな微笑と怒りに震えた熾烈な双眸だ。
 あの力強くもどこか儚い瞳に、涙は似合わない。足踏みするエルクディアなど目に求めず、まっすぐに先を見据えていることだろう。――そうしなければ、ならない。
 だから、あの子は泣かない。泣くはずがない。あの子の傍には、輝く星があるのだから。

「……そうかよ。ま、そんならいーけど。あー……、エルク、せっかく来てもらって悪ィけど、やっぱちょっと寝るわ。さっき飲んだやつが効いてきた」
「こっちこそ悪い、また機を改めるよ。今はゆっくり休んでくれ。それじゃ、お大事に」
「おー。じゃーなー」

 自分の腕を重たげに持ち上げて手を振るフェリクスを残して病室を出れば、扉のすぐ向こうにソランジュが待っていた。どうやら気を利かせて部屋を出ただけだったらしい。眠ったことを告げると、心配そうにしながらも穏やかな微笑みを唇に乗せて、彼女は深く頭を下げてきた。
 小さな子犬は、あの子とは似ても似つかない。
 病室を出たエルクディアは、特に目的もなく歩きだした。外は春の暖かな日差しが降りそそぎ、きっと気持ちがいいに違いない。そう思うなり、足が自然と庭園に向く。
 ――あの子は今、なにをしているだろう。
 なんとはなしにそう考えて、もう「あの子」などと気安く呼んではいけないことを思い出して苦笑する。そう定めたのは他でもない自分だというのに、少しでも気を抜くと駄目だ。こんなことでは、また修行が足りないとオーギュストに叱り飛ばされてしまうだろう。
 僅かな休息を求めての散歩だ。広大な敷地を持つアスラナ城は、騎士館の周りをぶらりとするだけでも十分気がまぎれる。
 春というだけあって、庭には色とりどりの花が咲き乱れていた。甘いまろやかな香りが鼻先にくちづけていくのを感じながら歩いていたところで、黄色の絨毯が目の前に開けた。その色に思わず足が止まる。
 よみがえった記憶の欠片が、ちくり、胸の柔らかい場所を刺した。

「総隊長。花を愛でておいででしたか」
「セフレーニアか。……もうそんな時期なんだな、と思って」
「今年は特に長い冬でしたから、余計にそう感じるのでしょう。――ああ、綺麗に咲いていますね。愛らしい花は心を癒します。ヴァーゴウの隊舎にもよく飾っていますよ。私が好きだと言うと、ヴェローナが両手いっぱいに花束を抱えて帰ってきたことがあります」
「ははっ、キンスキーらしいな。さすが七番隊だ。その雅な心を、ぜひ十番隊にも見習ってほしいな」
「しかしながら総隊長。あの十番隊に花など飾っていれば、正気を疑うというものですよ」

 その通りだった。隊長のフェリクスは愛らしいものを好むが、世話が得意なわけではない。飾ったところであっという間に枯らしてしまうだろうし、それになにより、あの隊舎の雰囲気には致命的なまでに似合わない。
 そんなくだらない会話を楽しみながら二人で花を眺めていたのだが、ふいにセフレーニアがその黒髪を揺らした。


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