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「隊長自ら戻ってくるとは、よほど大きな魚が釣れたのかな?」
「ええ、まあ。ベスティアで起きた不審火についてはご存知ですよね」
「王宮近くの森で起きた火災のことなら、君の優秀な部下から報告してもらったよ。先日、公子殿下にそれとなく伺ってみたけれど、上手くはぐらかされてしまった。それが?」
「“普通の火ではなかった”そうですよ。同日、少し離れた土地の村で、銀髪の男が倒れていたところが発見されています」

 一流の侍女が淹れたのとそう変わらない味の紅茶を楽しんでいたユーリの動きが、その瞬間にぴたりと止まった。アリスの名に相応しい姿をした彼が、僅かに動揺の走った青海色の瞳を受けて男臭く笑う。
 ベスティアの王都アエーブ、そのスエルテ王宮。その周囲には“ベスティアの魔女”が強固な結界を張っているという話だ。

「普通ではない炎に、銀髪の男、ね……」
「今、私のかわいい部下達がその男の行方を追っています。ですが、陛下には心当たりがおありのようですね」
「嫌というほどね。木々を焼き、人すら焼ける炎を操る銀髪の男なんて――“彼”以外にはいないだろう。……いてもらっては困る」
「万が一向こうに先に捕まえられでもしたら火の粉がこちらに降りかかりますが、どうなさいますか?」
「……彼を消すと?」
「それも可能で、かつ、賢明な判断だという一つの案です。あくまでも、ご判断は陛下御自身がなさいませ」

 慇懃な口ぶりだが、その表情はこちらを試すように笑んでいる。どこまでも食えない男だと嘆息し、ユーリは手渡された報告書に目を通した。ベスティアで起きた詳細が書き込まれたそれは、並の細作では探り出せない機密まで事細やかに並べ立てている。
 騎士団と言う名の輝きの中に身を隠した毒蠍が、音もなく忍び寄る。

「ベスティアには言うまでもなく警戒が必要でしょうが、今はプルーアスを注視しなければならなくなりそうですよ」
「……プルーアス?」
「先日、ベル皇帝が小隊を派遣し、“鳥探し”を始めました。それもなんと、ベスティアの地で」
「鳥? それはつまり、間者のことかな。しかし、間者一人のためにわざわざ小隊を動かすとは……」

 ユーリとて各国に何人もの細作を放っているが、戻ってこないからといって軍を動かすことはない。その安否はまた別の細作に探らせればいい。影の者には影の者を宛がうのが常識で、今のプルーアスの行動は理に合わない。そんなことすれば、自ら何者かを忍び込ませたと叫んで触れ回るようなものだ。
 いざとなれば、すっぱりと切って捨てる。無慈悲なようだが、その判断が国を動かす者には求められる。

「それがどうにも、ただの間者ではないようです。それは“お鳥様”と呼ばれ、ベル皇帝の寵愛を一身に受けていたとか」
「愛人を間者に出したのか、それとも間者を愛人にしたのか。彼も意外と、」
「“お鳥様”は漆黒の翼を背に戴く、有翼人だそうです。かの国では、黒翼の剣士とも呼ばれているとか」
「なに……?」

 ユーリの軽口を遮って言ったアリスは、両手を翼に見立てて羽ばたかせた。

「彼女の名は、シンシア・レイザーラ。それはかつて、クロード・ラフォンが口にしたことのある女の名です」



 その日、青年王は王妃との昼餉の予定を見送った。
 花離宮には伝言を承った侍女が訪れ、「どうかお気を落とされませんように」と慰めの言葉をかけて去っていったのだが、王妃はその侍女が実は男性であったことなど知るはずもない。
 名ばかりの夫となった陛下は随分と忙しいらしいと、そう思って、一人静かに昼食をとることになった。専属の侍女であるフィーネは急な腹痛を訴えたので、朝から休みを与えている。
 たった一人で豪華な食事に舌鼓を打ちながら、クレシャナは窓の外に咲き乱れた花々を見て物悲しげに口端を持ち上げた。
 ――ここは、とても綺麗な鳥籠だ。


+ + +



 エルクディアが病室に顔を出したとき、医官見習いのソランジュが瞳いっぱいに涙を溜めてフェリクスの傍らにいた。その表情にまた容体が悪化したのかと肝が冷えたが、当の本人がけろっとした様子で「よー」と声をかけてきたのだから拍子抜けだ。どうやら、普通に話していられることに安堵しての涙だったらしい。
 恥ずかしそうに涙を拭って病室を出ていったソランジュの背を見送って、彼女が座っていた丸椅子に腰かける。じんわりと体温の残る椅子に少し落ち着かなさを感じた。
 薬が効いているのか、どこかぼんやりとした様子だったが、フェリクスの目は何度か瞬きを繰り返したのち、ゆっくりとエルクディアを捉えた。



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