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「花って……あの店、大量に飾ってなかったか?」
「え、ええ。でも、お店に結界は張りましたよ。外に出ないようにとも言ってますし、聖水だって……。それに、シエラもむやみに花に触れてはいませんでしたよね?」
「ああ……」

 花は清らかな存在だ。特に生花は。
 魔物が聖職者の神気を好むことは誰もが知っている常識で、神気が強ければ強いほど魔物はそれに引き寄せられる。
 つまり神気は、諸刃の剣だ。魔物を阻み滅する力もあれば、魔を引き寄せ、増徴させる力も持つ。
 そんな神気を最も含みやすいのが花だった。

 普通の聖職者の神気は身の内に十分収まっている。強い神気の持ち主――たとえば青年王のような――は、神気が溢れないよう己で制御しているのだ。ゆえに神気が花に移ることは滅多にない。
 だが、シエラはその方法を知らない。

 だからライナがこまめに彼女の神気を散らしていたのだが、それでも追いつかないほどの神気を彼女は持っている。
 それでも張り巡らせた結界の力を考えれば、直接的に花にさえ触れていなければこれといって問題はないはずだった。
 シエラには事前にユーリが「あまり花に触れてはいけないよ」と説明してある。――ただし、その理由まで青年王は説明していなかったようだが。
 ライナの見ていた限り、シエラは一度も花篭に飾られた花に触れようとはしなかった。眺めはしても、店に飾られた花にべたべたと触るような客もそれほどいないだろう。シエラのように大して興味を持たない者であればなおさらだ。

「この魔気は計算外ですが、あのお店は無事のはずです」

 道中は難しくとも、あの店の中にあった神気はすべて断ち切ってきた。
 それが、年若くとも王立学院を主席卒業し、将来有望の印が捺されたライナの絶対の自信だった。
 ――そう、あの店は。

「なあ、シエラ」

 静かに、けれど厳しい響きを持ってエルクディアが問う。

「あの花びら……どうした?」
「花びら?」
「俺の頭から取ったやつだ。アレ、どうした?」

 真っ直ぐに新緑の双眸がシエラを射抜く。記憶の糸を辿っていた彼女はやがて震える唇で言った。

「――円卓(テーブル)の上に、置いた」
「あっちゃー……。で、でもさ! ライナの言うとーり、お店の外にさえ出てなかったら……」
「それでも可能性がないとは限らないだろ! ライナもそんな重要なことなら、一番最初に言え!」

 声を荒げるエルクディアの顔はまさに『総隊長』そのもので、眉間に寄せられたしわと鋭く響いた舌打ちは、先ほどまでの彼と同じ人物だとは到底思えない。
 びくりと大きく肩を震わせたライナは、彼の正論に言い返すこともできず唇を噛んだ。

 絶対はありえない。
 僅かでも危険性があるのなら、それを防ぐために全力を尽くす。何十万の騎士達が持つ連帯の大切さを知っているからこそ、彼の胸には焦慮が生まれた。
 聖職者のことを騎士が理解する必要はないのかもしれない。逆に、騎士のことを聖職者が理解する必要はないのかもしれない。互いにそう思っていたから、ライナとエルクディアは今まで自分達の仕事について詳しく語り合ったことはなかった。

 けれど、シエラを傍で守る立場にいるというならば。 
 同じ場所に立って彼女の剣になり盾となるというのなら、互いのやることに『知らないこと』があっては敵わないのだ。

「帰ったらもう一度あの馬鹿王と話し合え! 今はとにかく急ぐぞっ!」

 国を守り、民を守り、神の後継者を守る。
 それがエルクディアの使命なのだと、シエラにはまだよく分からなかった。痛いと感じるほど強く掴まれた手首も、ライナの沈痛な面持ちも、今はまだ理解できない。
 結局のところ、自分はまだなにも分かっていないのだということを、シエラはなんとなく肌で感じていた。
 夜の闇に不気味な獣の咆哮が轟いたとき、彼女の金の双眸が光ではなく闇を捉えた。


+ + +



 意地悪で口が悪くてお人好しで、どんなときも笑っているような人だった。
 思えばいつだって傍にいてくれた。馬鹿みたいに笑いたいときも、意味もなく泣きたいときも、ずっと。
 だからそれが当たり前だと思っていた。
 そう、だから今だって、振り返った先にいるのはルーンだと思っていたのだ。しかしセルラーシャの瞳に映ったのは真っ暗な闇だ。遠くに見える家々の明かりが、なぜだか針の穴のように小さく見える。

「みぃーつけた」

 いつも見上げなくてはならないルーンの顔はどこにもない。声につられて視線を落としたセルラーシャは、そこが歩き慣れたレンガの通りではないことを知った。
 そして同時に、自分を引き止めたのが幼馴染ではないことも。
 腕を掴んでいたのは、頭一つ分以上小さな子供だった。少年は無邪気に笑ってもう一度「みぃーつけた」と隠れ鬼をしていたかのように言う。

 闇に紛れる漆黒の髪、爛々と輝く紅玉の瞳。それらを見る限り、この辺りの子供ではないことは確かだった。これほど目立つ容姿をしているのなら、王都ではあっという間に知られているだろうからだ。
 魔物が出ると言われているこの時期に、このような子供が一人で夜に出歩くというのもおかしい。
 セルラーシャの背筋に氷が走る。

「あなた……誰?」
「イェラン! いたよ、後継者!」

 少年は質問に答えることなく、子供特有の甲高い声音で叫んだ。呼びかけは暗闇の奥に吸い込まれ、彼の仲間が少なくとももう一人いるのだとセルラーシャに嫌でも自覚させる。小さな手は相変わらず腕を掴んだままだ。
 緊張による鼓動が速さを増し、言い知れない恐怖を植え付ける。
 後継者――その言葉が示すのは、おそらくあの『お姫様』だろう。

「ちょっと、あなた、誰? ねえ、誰なの?」
「……違うよ、イェスタ。それ、別物」



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