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 ほら、崩れる音がする。
 それを知ろうとするから。それを見ようとするから。
 崩落の予兆が、貴女の頬を撫でる。
 恐ろしいのならくちづけなさい。
 そうすればきっと、すべてがはじまるでしょう。


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「あらあら、さすがですわぁ」

 焼けた大地に手をつき、そこに残る精霊の気配に思わず笑みが零れた。
 焦土の様子をくまなく観察していた兵士の一人が、レティシアの独り言を聞いてはたと顔を上げる。

「なにかお気づきですか?」

 これはただの火災ではない。王都へ続くこの街道に火の気はなく、当時関所を越えた者もいなかった。雷が落ちた記録もなく、また、乾燥がひどかったわけでもない。にもかかわらず、大火が森ごと街道を呑み、朝になっても轟々と凄まじい勢いで燃え盛っていた。ようやく鎮火したのは、火災発生から二日後のことだ。まるで炎が意思を持っているかのように王宮を目指してうねる、異様な有り様だったという。
 主要な街道ではないとはいえ、王都へ繋がる道の一つが潰れたとあっては被害は大きい。家を持たない浮浪者か、あるいは盗賊か、焼け焦げた死体が数体発見されていた。骨まで焼き尽くしたそれは、凄まじい炎の様子を物語っている。

「わたくし、魔女ですもの。皆さまよりとーってもたくさんのことを存じ上げておりますわぁ。たとえば、これがヒトの力ではないことも」
「では、魔物……!?」
「いいえ。そうとは言い切れませんの〜」

 レティシアは黒いレースの日傘をくるりと回し、足下の焦げた石を蹴り飛ばした。肺に取り込んだ空気は実に焦げ臭く、静謐な森の空気を台無しにしている。
 けれどその中に、辺り一面に漂う清らかな気配があった。ただの人には感じ取ることのできないそれは、まぎれもない精霊の気配だ。それも火霊の気配が濃い。炎の痕跡はレティシアが張り巡らせた結界の中にまで侵入している。並の者では決して破ることのできないそれに、僅かではあるが綻びが生じていた。
 ――万全ではないのに、これか。
 神炎を纏った男の姿が記憶に新しい。彼はまだ、完全ではないはずだった。それでも、レティシアの結界に穴を開けることができるのか。

「皆さま方こそ、なにかお分かりになったことはございますの〜?」
「いえ、それがお恥ずかしながら……」
「でしたら、ここは紅の賢者の出番かしら〜」
「え? レティシア様、紅の賢者が実在するのですか!?」

 ベスティアに古くから伝えられている伝説の一つに、「紅の賢者」というものがある。神算鬼謀――どれほど優れていようと、血を流すことは避けられない謀略を巡らせる賢者が現れ、ベスティアを勝利に導く。徹底した侵略と破壊。それが紅の賢者と呼ばれる者によってもたらされる最善の策だ。
 神を欺く鬼才の持ち主。
 それはあくまでも伝説とされていたが、レティシアは現世に生まれた紅の賢者の姿を知っていた。彼が策を巡らせれば、あの大国アスラナとて容易く膝を折るだろう。

「伝説というのは、案外とぉっても身近にございますのよ〜」

 指を鳴らせば、虹色の泡がその場にいくつも生じる。焦土には似合わぬ愛らしさに、兵士の何人かが呆れを飲み込んだような顔をした。
 ふよふよと漂う泡の一つ。
 その中に、眠たげな瞳が一瞬浮かび、泡と共に弾けて消えた。


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 バルティアール僧院の中二階に設けられた中庭から見下ろすファルゥの都に、ゆらゆらと松明の明かりが躍っている。空には無数の星々が瞬き、アスラナ城の宝物庫をひっくり返したような美しさだ。
 砂漠の夜は冷えると聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。
 びゅうと吹き抜ける冷たい風を浴びて、シエラは上着の前を掻き合わせる。柔らかな手触りの毛皮は、持参したものではなくオリヴィニスの僧侶から貸し出されたものだ。彼らは戒律により贅沢を禁じられているというが、客人のもてなしには最高級のものを用いるのが礼儀らしい。
 上半身はとても暖かいけれど、足下が依然として冷える。それは、荷物の中に詰め込まれていた新しい神父服が原因だった。

「まったく……。先日の採寸はこのためでもあったんだな」


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