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「あの傷で助かったのか。それはなによりだな」
「うん、よかったよね。これで一安心だ。彼がいなくなっちゃったら、総隊長が可哀想だもの」
「可哀想、か。アリスらしい物言いだ」
「だってそうでしょう? あのオリヴィエも愛想を尽かした、なんて話だし。セフレーニアは優しいけれど、別に今の総隊長にこだわりはない。それは彼女だけに限った話ではないでしょう? 彼の本当の味方は、ブラント兄弟だけなんだから」

 ころころと笑って、アリスは燃える羊皮紙を銀盆に落とした。焦げる臭いが鼻をつく。
 九番隊スコーピオウで副隊長の座につくハーディ・シュタインが、アリスの発言に棒でも飲んだような顔をした。彼は本当に表情豊かだと思う。そんなことを言えば周りはきっと「アリスの方が」と言うのだろうけれど、それを自覚した上での掛け値なしの本心だ。
 ハーディの方がよほど表情豊かで、感情表現に富んでいる。パッとしない顔立ちが少し残念だが、それも含めて好ましい。彼のざらついた頬に手を滑らせると、訝るように太い眉が寄せられた。

「どうしてあの兄弟は、彼に味方しようと思ったんだろうね」
「……俺達が敵だというわけでもないぞ。そういう言い方は誤解を生む」
「じゃあハーディは彼の味方なの? ……ほら、答えに詰まる。ふふっ、それでいいんだよ。確かに私達は敵じゃない。王都騎士団の名の下に集まった騎士なのだから。でもね、私達が忠誠を誓ったのはこの国であり、王だ。彼にじゃない」

 魅力ある有能な指揮官でなければ、当然組織は成り立たない。だが、王都騎士団は全部で十三の隊がある。それぞれの隊で色が違い、――各隊に相応しい隊長が、それらを纏め上げている。
 王都騎士団総隊長はエルクディア・フェイルスだ。それは昨日今日に始まったことではなく、騎士団の誰もが承知の事実だった。

「彼も頑張ってはいるよね。でも、同じ戦場において、指揮官は二人もいらないと思うんだけどな」
「アリス……。お前は、総隊長が嫌いなのか?」
「ううん。彼個人は嫌いじゃないよ。でも、そうだなぁ……」

 長い髪を掻き上げるように手を入れたアリスがハーディの前に翳して見せたのは、きらりと光を弾く極細の針だった。外からは見えぬように細かく編んだ髪の中に、この針を隠し持っていたのだ。
 潜ませているのは針だけではない。剃刀の刃も、鉛の礫も、粉末状の毒だって、身体のどこかに所持している。
 魔導師学園の監査としてこの地に派遣された現在も、任された仕事はそれ一つではない。九番隊スコーピオウの神髄は、騎士らしからぬ諜報活動にあった。声を上げて戦場を駆ける苛烈さの裏で、静まり返った夜に呼吸を殺し、屋敷に忍び込むこともやってのける。他国――あるいは、国内の他の騎士団から見れば批難轟々だろうことは想像に容易い。
 スコーピオウの在り方は騎士道に背いている。だが、その考え方がそもそもの間違いなのだ。

「私達(スコーピオウ)を使いこなせない総隊長は、嫌いかな」

 スコーピオウは暗躍を得意とする者の集団だ。その影を光の下に置けば、より濃さは増す。騎士の称号はあとから与えられた目くらましに過ぎない。かつての王と騎士団長がそう定め、ここまで発展させてきた。
 表向きは清廉な騎士だが、その実態を知る者は仲間内でさえ限られている。

「あれはまだ若い。あまり過剰に期待してやるなよ。それこそ“可哀想”だろ」
「私だってまだまだ若いよ。ハーディより十歳と一つ若いんだから」
「お前はすぐそうやって若さを主張する。少しは手加減しろ」
「えへへ。若いと言えば……彼も、今よりずっと若い頃の方がよかったのにね。今ではすっかり凡人だ」

 エルクディアが騎士団に入団してきた頃、まだ幼いと呼べる少年だった。剣の方が彼よりずっと重たいのではないかと思うほどで、誰もが「あんな子どもが」と侮っていた。
 だが、ひとたび剣を振るえばどうだ。飛ぶような速さで地を蹴り、危なげなく剣を走らせ、瞬く間に敵を斬り伏せる。異常なまでの強さだった。それこそ、竜の子と呼ぶにふさわしいほどに。
 成長するにつれ、彼は次第にその輝きを天上のものから人間界のものへと変質させていった。凡人と称するにはいささか優れすぎているものの、今の剣はあの頃の峻烈な気迫には程遠い。

「――あ。帰ってきたかな? 報告が楽しみだね。……今警戒すべきはベスティアか、プルーアスか。さぁて、どっちだろう」

 音もなく開かれた扉を見て、アリスは無邪気な子どものように楽しげに笑った。


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