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「どうにかならないのか!?」
「……一つだけ。一つだけ、助ける方法がある。けれど……」

 魔女は言い淀んだ。確実に助けられる方法があるにはある。だが、それは多くの血を裏切ることになる。
 男のためにそこまでする必要があるのか。思い悩んだ末に、魔女は答えを出した。出さざるを得なかった。魔女はその日、“夢”を見たのだ。
 金の輝きを放つ竜が、蒼い光を守る夢を。
 ゆえに、魔女は決意した。たとえこの身が狙われようと、裏切り者と蔑まれようと、誰に恨まれようとも助けざるを得なかった。
 
 ――そして、その子はこの世界に産声を上げた。


+ + +



 そこには、見たこともない花が咲いていた。燃えるように赤い花だった。
 目の前に広がる光景に、シエラは足を止めて息を飲んだ。まだ春を迎えて間もないというのに、じんわりと薄汗が額に滲んでいる。身体を気遣うライナの声に頷きを返し、ぐるりと辺りを見回した。
 ここに来るまで、実に十日以上の日をかけた。馬を走らせクラウディオ平原を南東に下り、メシュルン地方から国境となる険しいディスピア山を越えてアスラナを出た。
 地図上ではもうすでにオリヴィニスに到着していることになるのだが、実際はそうではなかった。山を越え、落ちれば確実に死神の迎えが来るだろう崖の淵を歩き、いくつか点在する小さな村を通過したが、出会った人々は皆、自分達がオリヴィニスという国に属している意識を持っていなかった。
 ならばここは空白の地か。
 先導するバスィールも、ディスピア山を越えたところで、真の国境はここではないと言っていた。深い森が続くそこは、そもそも人がいない。多くて十人単位の小さな村がいくつかあるだけで、彼らは税を収めるべき主を持たない。
 断崖絶壁を渡る際に馬は乗り捨ててきたため、決して楽ではない道程を徒歩で歩んでいる。荷のほとんどはヴィシャムとフォルクハルトが背負ってくれているから身軽だが、それでものんびりと散歩気分というわけにはいかなかった。
 唯一助かったのは、山を越えて以降、一切魔物の気配を感じなくなったことだった。国境付近には魔物も出現し、それを祓魔して進まなければならなかったので、余計な体力と時間を消耗していた。それが今や、欠片ほどの魔気も感じずに旅を進めることができる。漂ってくるのは、緑の匂いを孕んだ風くらいだ。
 二日がかりで森の中を進み、大きな川に差し掛かったそのとき、バスィールがシエラの前に跪いた。この川がオリヴィニスが定めた真の国境だという。どこを見ても橋などなく、また、渡るための小舟もない。流れはそう激しくはないが、川幅の広さといい、ゆうに腰まではあろう水量といい、そのまま入って渡ることは避けたいものだった。
 しかし、方法がないのならそうも言っていられない。シエラはバスィールに、ライナはヴィシャムに、ルチアはフォルクハルトにそれぞれ抱えられた状態で冷たい川を渡り、濡れた身体を降りそそぐ春の日差しで乾かした。
 そして再び森を進むこと僅か。木々の開けたその向こうは高台となっており、そこから見下ろす光景にシエラはぼうっと立ち尽くすこととなった。

「これが、オリヴィニス……?」
「はい。あそこに見えますのが、我が師のおわすバルティアール僧院にございます」

 バスィールの示す方向に見えたのは、茶色い岩肌を剥き出しにした小さな山だった。山と言っても、ほとんど緑はない岩山だ。
 オリヴィニスという国は、実に不思議な場所だった。森を抜けた先に砂漠が広がり、砂漠の向こうに山がある。荒涼とした大地のようでいて、一部には豊かな自然が溢れている。遠くに見える雲すら貫く山岳が、都市を守るようにそびえていた。

「すっげぇな。あそこが王都か?」
「否。オリヴィニスは王の都を持たない。オリヴィニスが最高僧ナルゲスの位を得た元首(げんしゅ)の治める都ならば、今眼前に見えるアラーマがそうだ」

 砂漠の真ん中に、白い壁で円形に囲まれた都が見える。先ほどバスィールが示したバルティアール僧院のある岩山付近の都とは少し距離があったが、馬を使えば半日もかからない距離だろう。
 頭上には晴れ渡った青空が広がっていた。白い雲が流れ、時折きらりと光を落としていく。シエラの肩から飛び降りるようにして人化したテュールが、眼下の砂漠を見て楽しそうに笑った。


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