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「……あたし、ずっと、死ぬことが、怖かった。どんなことがあっても、死ぬのだけは嫌だった。生きるためならなんだってしてきた。だけど……」
口元を押さえ、ラヴァリルはなにかと戦うように首を振る。にじり寄る悪魔を振り払うように、悪しき者を拒絶するように。頬を滑り落ちていく涙の、なんと切ないことか。
彼女は結局、言葉の続きを言おうとはしなかった。どれほどシエラが促そうとも、決して口を開こうとはしなかった。――傷つく覚悟は、もうとうにできていたのに。
聞かずとも分かった。分かってしまった。
友を失い、恋い慕う者を傷つけ、罪人として塔に囚われる身となった彼女が望むものは、シエラにとって痛みを与えるものだった。
『どうして死なせてくれなかったの』
その言葉がどれほどシエラを傷つけるか分かっているからこそ、ラヴァリルは声を呑み込んだのだ。
闇が深まる。隙間から入り込んだ風が蝋燭の炎を揺らし、一本分の光を奪っていった。たったそれだけで、シエラは目の前が真っ暗になったような錯覚を覚えた。
+ + +
氷の花、咲かせて。
苦しいのなら、痛むのなら、大丈夫、蒼い花咲かせて。
氷の花、咲かせて。
すべて凍らせて、閉じ込めて。
そうすればもう、つらくはないから。
蒼く美しい氷の花、咲かせて。
+ + +
「シエラ様、どうぞお気をつけて」
「ああ」
結婚式が終わり、一週間続いた祝宴もようやっと終わりを迎えた。
海神ルタンシーンの神託通り、竜の加護を得るべく竜の国を目指す旅が始まる。だが、行先がどこであるかは、一部の人間を除き、一切の口外が許されていなかった。
幻の竜の国がオリヴィニスにあると広まれば、世界中が混乱する。オリヴィニスに生きる者にとってもそれは口外無用の禁忌らしく、バスィールは悩みに悩み抜いた末、シエラにその事実を告げたのだ。
「行くのはあのオリヴィニスなんだろ? 俺達でいいのかよ」
「オリヴィニスは多くの客人を望まない」
「バスィール殿、この野犬が言いたいのは人数の問題ではなく、身分のことです。もっと品のある外交官じゃなくていいのかって話ですよ。だろ?」
「うっせぇよ、虎野郎。勝ち誇った顔すんじゃねぇ」
「そういった話であれば、なおのこと問題ない。政に関わりのない人間である方が、オリヴィニスも歓迎しやすい」
旅にはテュールは当然のこと、案内役と護衛を兼ねたバスィール、そしてライナ、フォルクハルト、ヴィシャムの聖職者達が同行することになっている。
王都騎士団長であるエルクディアは、王都の守りを固めるようにとの王命が下ったために同行者からは外れている。新たな王妃の誕生を機に、不穏な動きをする者が現れないとも限らないというのが青年王の言葉だった。魔導師との残り火のことも考えれば、その判断は妥当と言えるだろう。
旅支度を整え、馬に跨ったシエラを見上げてエルクディアが微笑む。
「無事のお帰りをお待ちしております」
「なるべく早く帰るようにする。……じゃあ、行ってくる」
早朝からの出発だった。眠気はあるが、少なからず緊張しているのか寝たいとは思わない。
さすがに馬に乗ったバスィールの先導に従い、シエラはゆっくりと馬を進ませた。その背後で、エルクディアが深く腰を折る。
東の空を染める朝日が眩しい。金の双眸をついと細め、シエラはなんとはなしに後ろを振り返って城を眺めた。リロウの森を背後に、空を突き刺すような高い塔がそびえている。
昔、姉のリアラが好んで読んでいた童話を思い出した。
森の奥にある高い塔の上に、囚われのお姫様が住んでいる。太陽のように輝く金色の長い髪と、宝石のように輝く緑の瞳。けれどお姫様は、とても笑顔の似合う少女だったのだという。
あんな風にやつれ、泣き濡れ、暗い表情とは無縁の。
「シエラぁ、前見ないと危ないよ〜?」
先日シルディ達の帰国を見送ったときには泣きじゃくっていたルチアが、今はもうけろりとして笑っている。愛らしい声に呼ばれて、シエラは前を行くバスィールの銀髪を眺めた。
隣に並んだルチアが、肩にテュールを乗せたまま空を見上げて楽しそうに笑う。
「いいお天気だねぇ。きーっと、いいことあるよね!」
残してきた者達を思いながら、シエラも笑った。
蒼い髪が風になびく。
「――ああ、そうだな」
祝福として花びらを生んだときの、クレシャナの嬉しそうな顔を思い出した。
誰もが嬉しそうな声を上げていた。舞踏会のあと、片付けに入った侍女の中にはこっそり持ち帰ったものいると聞く。
ならばあのときのように蒼い花を咲かせれば、皆は喜ぶのだろうか。
竜の加護を得て、さらなる力を得ることができれば、守れるものも増えるのだろうか。
蒼い花を咲かせて。
大いなる力を得て、蒼い剣を振るって。
――そして“貴女”、神になる。
back(2015.0621)