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 博識の王との会話はとても楽しく、緊張も徐々にほぐれていく。クレシャナを見る青海色の瞳はどこまでも柔らかく、澄み切っていた。クレシャナが好きな、故郷の海のように。
 互いの好きなものの話になったとき、当然のようにクレシャナはララの花の話をした。ユーリもそうだと聞いていたので、襲ってきた眠気に負けそうになりながらも聞いてみたのだ。

「陛下はなにゆえ、ララの花をお好きなのでしょうか」
「君はやけにその花にこだわるね。好きな理由を訊ねるなんて無粋だよ」
「申し訳ございません。ですが、どうしても気になって……」
「――可愛らしいからだよ。小さくて、可憐で、愛おしいから」

 愛おしい。
 その声の甘さに、胸が鳴る。
 優しい腕に包まれて、クレシャナはいつの間にか深い眠りに落ちていた。


+ + +



 登る、登る、塔の上。
 そこに光はない。



 ここを訪ねるのは初めてだった。
 どうしようか何度も迷い、諦め、けれどやはり気になって踏み切った。
 ユーリに与えられた許可証を見張り番に見せると、彼らはとても複雑そうな顔をしながらもシエラのために門を開けた。暗がりの中を蝋燭一本で進み、長い階段を上がる。あともうすぐで最上階だろうという頃合いに、その部屋はあった。
 息苦しささえ感じる塔の中。――ここは、奥の塔と呼ばれる牢獄だ。
 高層階に収監されたラヴァリルの部屋は、シエラの口利きもあってか本来身分の高い囚人を入れておくための特別室が宛がわれていた。重厚な扉の奥には広々とした空間が広がっている。調度品も立派なもので、自由が奪われていることさえ除けば優雅な暮らしができただろう。
 扉の開く音に気がついたのか、部屋の奥からラヴァリルが顔を出した。シエラを見るなり、その表情が一変する。

「しえ、ら……」
「ラヴァリル、具合はどうだ」
「どうって、べつに、なんともないけど……。でも、なんでここに? 今日、ユーリさんの結婚式だったんじゃ……」
「抜けてきた。私の仕事は終わったからな。包んでもらって、料理も少し持ってきたんだ」

 座ってもいいかと聞くと、ラヴァリルは談話室の燭台に火を入れた。ぽうっと浮かび上がった炎によって、彼女の表情がより鮮明に見えるようになる。
 小さなテーブルを挟んで向かい合うようにソファに座り、シエラはラヴァリルのために持ってきたご馳走を披露した。以前山のように盛りつけていた肉料理だ。少し冷めてしまったが、味はそう変わらないだろう。
 きっと喜ぶだろうと思っていたのに、ナイフとフォークを渡した瞬間、ラヴァリルの瞳からは大粒の涙が溢れ出した。

「ラヴァリル? どうした、これじゃなかったか? なら、ジアに頼んで別のものを取ってきてもらうから」

 奥の塔に足を運ぶからには護衛が必要だとユーリに言われ、付き添いとしてバスィールを連れてきている。今は扉の前で待たせているから、声をかければすぐに塔を降りてくれるだろう。
 慌てて立ち上がろうとしたシエラの腕を、ラヴァリルは肉の削げ落ちた手で必死に掴んだ。

「ごめんなさいっ……! ごめんなさい、シエラ」
「え?」
「あ、あた、し、シエラのこと、ころそうと、してた! 殺す気だった! なのになんでっ、なんでこんなに、優しくするの!?」
「ラヴァリル……」

 濁った緑柱石の瞳から、ぼたぼたと雫が落ちる。やつれた頬を伝う涙を拭おうともせず、ラヴァリルは哀哭した。
 何度も何度も謝罪を繰り返し、その合間に意味のない言葉を繰り返す。あまりの痛々しさに耐え切れず、シエラは身を乗り出してラヴァリルを掻き抱いた。

「リースも、無事だ。聞いているか? お前の向かいの部屋にいる。薬も抜けたみたいで、今では普通に食べたりできるし、話すこともできるらしい。それに、フェリクスも目が覚めた。だから、大丈夫だ」
「っ……」
「……謝るのは、私の方だ。助けると言ったのに、こんなところに閉じ込めるはめになった」
「ちがっ、だめ、あやまらないで。……シエラのおかげで、救われた」

 濡れた目元が悲しげに細まり、ラヴァリルは視線を逸らした。唇が震えている。
 嗚咽を必死で飲み込もうとするたびに、彼女の肩が大きく跳ねる。かつては柔らかかった身体が、今はこんなにも硬い。骨が突き刺さるような感触に、どこかぞっとした。
 今さらながらに、どうしてここに来たのかと自問した。友人に会いたかったからだろうか。彼女が心配しているだろうリースの様子、そしてフェリクスの様子を伝えたかったからだろうか。それとも、己の不甲斐なさを謝罪したかったからだろうか。
 ここはあまりにも暗い。
 すぐそこ、目と鼻の先にあるところで華やかな舞踏会が開かれているというのに、この塔の中は暗く淀み、光とは無縁の場所にさえ思えた。
 窓はある。格子も填まっていない。敷布(シーツ)や緞帳(カーテン)を裂いて繋ぎ合わせれば脱獄も可能だろうが、この高さからではまず不可能だろうし、なにより本来ここに入れられるのは身分の高い者達だ。己の名誉のために脱獄などしないだろうという信頼の表れなのだろう。


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