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「ホーリーの第三王子付き秘書官の弟がアスラナ王妃の愛人だなどという噂が流れでもしたら、ホーリーにとって大いなる損害にしかなりません。迷惑をかけるなと言っているんです」
「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ! 誰が愛人なんてっ」
「自分で言ったことをもう忘れたんですか? 彼女はもう、ただのお嬢さんではない。アスラナ国王の妃です。あの色惚け王もなにを考えているのか、正妻ですよ、正妻。彼女はこれから、この国を支える柱の一つとなる」
「それがどうしたって言うんだよ……」

 ああ、まったく。
 この弟は、本当にちっとも変わっていない。優秀なのは顔立ちだけで、頭の中身はさっぱりだ。長い薔薇色の髪を思い切り引っ張ってやりたい衝動をなんとか押さえ込み、レンツォは胸元のブローチを軽く弾いた。
 ちっとも事態を把握していない出来の悪い弟に、できるだけ優しく言い含めてやる。

「彼女はすでに政の舞台に立たされた。まだ分かりませんか? ここは大華五国の中で最も異質で、かつ、最も大きな国アスラナです。事実がどうであろうと、周りは遠慮などしません。そこに綻びがあるのなら、無理やり手を捻じ込んで大穴を開けようとするでしょう。下手をすればあなただけではなく、彼女も罰せられることになりますよ」

 痩せっぽちのあの少女がどうして正妃などに迎えられたのか、各国はまだその真意を掴みあぐねている。世にも珍しい恋愛結婚だなどというが、それが真実だとは思えない。必ず裏があるはずだ。アスラナ王はなぜ、あんな“欠陥品”を王妃の座に据えたのか。
 レンツォが思考を巡らせている間に、ようやっとジルにも現状が飲み込めてきたらしい。みるみるうちに青褪め、色を失くした唇が「ひめさん、」と呟いた。
 あの少女は、茨の檻に入れられたのだ。どこを歩むにも、棘が彼女を蝕むだろう。
 彼女の犠牲と引き換えに、大国の王はなにを手に入れようとしているのだろうか。


+ + +



 傍にいたい。
 ただ、それだけ。
 望むことは、願うことは、ただ、それだけ。


+ + +



 大舞踏会が終わると、クレシャナは侍女達に連行される勢いで風呂場に案内された。やたらと香りのいい湯で全身を念入りに洗われ、遠慮しても聞く耳を持たない彼女達に髪に香油を塗りたくられ、そして新品の絹の寝着を着せられたのだ。
 新しく与えられた寝室の扉を開ける寸前、女官長には「おつとめなさいませ」と頭を下げられてしまい、もう訳が分からない。――否。本当はなんとなく分かっている。分かってはいるが、それはクレシャナとユーリの間にはありえないことだった。 
 それでも気持ちは落ち着かず、リスかなにかのように手指を擦り合わせてしまう。すでに寝台(ベッド)に座って酒を楽しんでいたユーリが、クレシャナを見てふわりと笑ったのが暗がりの中でも分かった。

「一つ、約束を破ろうと思う」
「え?」
「――おいで」

 優しい声がクレシャナを誘う。
 おいでとは、もしやベッドにということだろうか。ここは寝室とはいえ、すぐ隣にも部屋がある。そこには大きな寝椅子(ソファ)があったから、クレシャナはそこで眠ろうと思っていたのに。
 混乱して立ち竦んでいるクレシャナに、ユーリは有無を言わさず手招いた。国王の言葉に逆らえるはずもなく、恐る恐るベッドに近づく。隣に座るように促され、その通りに従った。
 大きな手に頭を撫でられる。慈しむような動きで前髪が払われ、露わになった額に唇が触れた。びくりと身体を震わせた途端に軽く抱き締められて、頭の中が明滅する。
 クレシャナが望むのなら指一本触れないと言ったその唇が、今は耳に触れている。

「あの、陛下っ」
「新婚夫婦が初夜を共に過ごさないとなると、皆が動揺するからね。朝を迎えて女官が起こしに来たとき、同じベッドにいなければそれだけで騒ぎになる」
「あ、ええと……、は、はい」
「君を傷つけるつもりはない。一晩だけ我慢しておくれ」

 絞り出すような囁きを落とされては、もうなにも言えない。ただ黙って頷けば、抱き締められたまま身体が傾いていくのを感じた。柔らかく沈むベッドの上で、すぐそこにユーリの体温を感じながら身を横たえる。
 頭の下には彼の腕があった。思いのほか硬くて、それだけで少し落ち着かない。
 だが、それだけだ。それからユーリは宣言通りクレシャナに触れようとはせず、二人は他愛のない話をした。毒見のせいで冷えた料理しか食べられないのがつらいだとか、冬の海は曇ってしまうから夏の方が好きだとか、色々。


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