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「何度でも言うよ。ねえ、クレメンティア。どんなに悩んでも。どんなに苦しくても。どんなにつらいときも、僕は必ず君の味方だから」

 耳元で囁くように言われたその瞬間、シルディの肩越しに見える夜空に星が流れた。押しのけるように胸に手をついたのに、微塵も力が入らず困惑する。そんな抵抗とも呼べない抵抗すら許さないつもりなのか、シルディはしっかりと腰に手を回してきた。
 鼓動が合わさる。悲しくもないのに、瞳が涙で滲んでいった。このぬくもりを感じられることが、こんなにも愛おしいだなんて。

「……なにを、偉そうに。ぽえぽえ王子の、くせに」
「酷いなぁ。クレメンティアってばそればっかり」

 苦笑しながら上体をほんの少しだけ離したシルディが、急に腰を抱く腕に力を込めてきた。もうこれ以上密着することなどできないというのに、どういうつもりだろう。

「ま、待ってください、人が来たら、」
「人払いは頼んであるよ。婚約発表したばかりの二人を覗き見するような無粋な人間なんて、そういない」

 いつの間に。
 言われてみれば、先ほど自分達がくぐった扉には緞帳(カーテン)が引かれ、大広間とバルコニーを隔てている。
 徐々に熱が近づいてくる。逃げ出したいのに、身動き一つ取ることができない。
 星の降るバルコニーで、静かに影が重なった。

「言ったでしょう? ――僕だって、男なんだよ」

 どこか勝ち誇ったようなその表情は、ライナと同じくらい赤く染まっている。ああ、けれど、今、なにが。一体なにが起きたのだろう。すっかり固まってしまったライナの疑問に答えたのは、先ほどと同じぬくもりだった。
 柔らかな唇の感触に、逃げ出そうとする思いとは裏腹に腕が彼の背に回る。
 満たされる喜びに震える胸を抱きながら、脳裏に思い浮かべたのは大好きな友人の姿だった。今にも泣き出したくなるようなこの喜びを、どうか、あの子にも感じてほしい。愛しい者の腕の中がどれほど温かいものなのか、あの子にも知ってほしい。
 縋るように腕に力を込めればより強い力で抱き締められる、その狂おしいまでの喜びを、どうか。

「大好きだよ、クレメンティア」

 ――どんな神言よりも尊いその言葉を、あの子にも、どうか。


+ + +



 大広間を出た廊下の角に鏡があった。
 そこに映る己の姿を見て、レンツォは人知れず溜息を吐く。
 いつもより丁寧に整えた薔薇色の髪。黒地に銀の縫い取りをした長めの上着に、同色のズボン。襟には銀糸で植物の刺繍が施され、ふわりと広がるスカーフを飾るのは大粒のホーリーブルーだ。
 久しぶりに顔を合わせたルチアが、会うなり「きれー!」と目を輝かせたほどの逸品だ。欲しかったのだろうが、こればかりはくれてやるわけにはいかない。
 人魚の涙に触れ、脳裏に海に浮かぶ月を描いていたレンツォの思考を中断させたのは、揃いの髪色を持つ青年だった。

「たっく、なんだよ。感動の再会はもう終わっただろ。悪いが、こっちは自分が誰かすらも覚えてねぇんだ」
「あなたの頭の出来ではそれも仕方のないことでしょう。特に期待はしていません」
「……あんた、本当に俺の兄貴か? 性格悪すぎんだろ」
「顔以外どこも残念なあなたに言われたくはありませんね」

 未だに実感がない。六年前に消息を絶った弟が、記憶を失ってアスラナにいるだなんて。
 相手も同じだったのだろう。けれど一応気を遣ったのか、それとも本当に気になったのか、家族のことを聞いてきた。いたって普通の両親と化物のような姉がいることを伝えると、弟は心底驚いたような顔をしていた。
 変わらない。記憶が抜け落ちても、六年経っても、その表情の癖はまったく変わっていない。

「ジル。どういったいきさつで妃殿下に拾われたかは聞きました。ちょうどいい機会ですから、私達が帰国する際に一緒に帰ってきなさい」
「え? いや、帰ってこいって言われてもなぁ……。そりゃ、家族には顔見せとかねぇとって思うけど」
「当然でしょう。しかしその反応を見るに、随分とあのお嬢さんに惚れ込んでいるようですね」
「はっ!? いや、違うし! つか姫さんはもう王妃さんでっ」
「理解しているのなら結構。では、ホーリーへ帰国することに問題はありませんね。手続きは私が取ります」
「だから、なんでそうなるんだよ!」

 噛みつくように声を荒げたジルを冷ややかに見据え、レンツォは怜悧な顔立ちから一切の表情を掻き消した。



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