26 [ 574/682 ]


「なんだか少し、シエラが変わってしまったような気がするんです。オリヴィニスの方が来てから、特に……。エルクとの距離が、なんだかおかしくて」

 訊いたところで、二人とも「別になんでもない」と言う。
 エルクディアは「最初からこうあるべきだった」と笑い、シエラは「世間体だってあるんだろう」と淡々と零す。二人の間になにかがあったとしか思えないのに、ライナでは立ち入ることができない。二人とも、心から望んでその距離を取っているのではないはずだ。なのに、頑なにそれを守る。
 どうにかしたいのにどうにもできない。手を差し伸べようとして、余計だと振り払われてしまったら? 慰めや励ましの言葉をかけて、余計に傷つけてしまったら? そう考えると、口を噤んで見ていることしかできなくなってしまった。

「エルクくんはシエラちゃんとの距離の取り方が下手だったように思うんだけど、それも関係してないかな」
「え?」
「だって彼、すっごく迷ってたみたいだったから。シエラちゃんの傍に、どういう立場でいるのが正しいのか。騎士としてか、それとも友人としてか、一人の女の子を思う男としてか。全部ごちゃ混ぜにして、引っ込みがつかなくなってから急に線を引いたら、それはシエラちゃんだって困っちゃうよ」
「……まるで、見てきたように言うんですね」
「ホーリーにいたあの短い間ですらだだ漏れだったもん。すぐに分かるよ。エルクくんはシエラちゃんをとっても大切に思ってる。それはクレメンティアも同じでしょう?」

 その通りだ。
 シエラのことは神の後継者として大切なのではなく、友人として大切に思っている。

「ええ。けれど、エルクとわたしでは……」
「“好き”の種類が違う。エルクくんは自覚していながら、それを抑えようとしていた。色々葛藤があったんだろうけど……。結果として、よくない方向に行っちゃったって感じかなぁ」
「……シルディは、迷ったことがないんですか?」
「なにが?」
「立つべき、己の立場を。……わたしは迷いました。クレメンティアとして存在すべきか、ライナとして存在すべきか。友人としてシエラの傍にあるべきか、それともただの神官と祓魔師の関係と割り切るべきか。他にも、たくさん」
「うーん……、僕はそういうことで迷ったことはないかなぁ。生まれたときからホーリーの第三王子っていう立場が“僕”だったから。全部ひっくるめて僕だし」

 そこまで言ったシルディは、手袋を填めた手で口元を隠すようにして小さく笑った。

「あ、でも、君の前にいるときだけは、王子よりも一人の男のつもりでいることの方が多いかもしれないね」

 少し照れくさそうに目元を赤らめるその姿に、ライナの頬に朱が差した。一気に心臓が速度を上げて血液を吐き出し、身体の熱を上げていく。言葉を失くして戸惑うライナの髪を、シルディの指がそっと掬った。
 遠くから聞こえる楽の音は、ライナの心音とは違ってゆったりとしたワルツだ。
 優しい眼差しが降ってくる。夜の海のような、穏やかな漆黒の瞳の中に、所在無げに立つ自分の姿が映り込んでいた。

「もし僕が王子じゃなかったら、もし君が公爵令嬢じゃなかったら。きっと僕らは、出会うのも難しかったんだと思う。だからね、僕は今の立場に感謝しこそすれ、後悔したことは一度もないよ。大変だなぁって思うときはたくさんあるけれど」
「あ、貴方は、いつもそうやって、」
「聞いて、クレメンティア。だからと言って、僕は自分の立場を悔いたり迷ったりする人を弱いだなんて思わない。なにをどう感じるかは、本人にしか決められないことだから」

 つ、と指先がこめかみから頬へと滑っていった。手袋越しの熱がじんわりと伝わり、くすぐったいようなもどかしいような、そんな気持ちにさせられる。
 成長途中とはいえ身長はさほど高くないくせに、ライナよりも一回り大きな手が頬に添えられ、生意気にも軽く上向くように促された。絡め取られた視線は逃げる術を知らない。いつも柔和に微笑んでぽえぽえ王子だなどと呼ばれているのが嘘のように、どういうわけか今はひどく男臭い。
 胸が肋骨を突き破って逃げ出そうとしている。身体中の熱が解放を望み、叶わぬと知りつつ最後の足掻きと言わんばかりに肌の表面を赤らめていく。
 柔らかく微笑んだシルディの唇が、前髪を掻き分けるようにしてライナの額に触れた。びくりと跳ねた肩を宥めるように片手で抱かれ、引き寄せられた胸の厚さに耳まで熱くなる。



[*prev] [next#]
しおりを挟む


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -