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「ユーリ。そして、クレシャナ。――神の後継者、シエラ・ディサイヤの名の下に、汝らを祝福する」

 エルクディアが用意していた杯を手に取ったシエラが、言うなり中の水を空中に撒いた。キラキラと舞うそれは、彼女が小さく唱えた神言によって蒼い薔薇の花びらへと変化する。その様に貴婦人達は娘のような声を上げて喜んだが、落ちてくる花びらを掴もうと手を伸ばすようなはしたない真似はしなかった。
 蒼い祝福の中、クレシャナだけが無意識に両腕を天井へと伸ばしていた。上向けた手のひらに、青い花びらが数枚落ちてくる。白い手袋の上だから、余計にその青さが際立った。手で包んで鼻先に近づければ、ほのかに甘く香る。

「クレシャナ、おめでとう」
「ありがとうございます、シエラさま。とても……、とても、嬉しゅうございます」

 青い花びらを胸に抱き、幸せそうに破顔するクレシャナの姿は多くの者にとって愛らしく映っただろう。
 やがて楽士達が曲を奏で始めた。主役たる二人が真っ先に踊らなければ、他の者は踊れない。そう教えられていたが、ユーリから手を差し伸べられた途端に困惑してしまった。手を取ることに異論はない。踊りの練習だって一通りはこなした。大恥を掻くことはないだろうとも思う。
 しかし、今のクレシャナの手の中にはシエラから授けられた花びらが眠っている。持ったままでは到底踊ることなどできないだろう。床に捨ててしまうのももったいないと思っていた矢先、ユーリがそっとクレシャナの手を開かせ、彼が着ていた上着のポケットの中へと花びらを仕舞い込んだ。
 驚いていると、どこか悪戯っぽく微笑まれる。

「さあ、この花びらがみずみずしさを失ってしまわぬうちに、一曲踊ってくれるかな」
「――はい、陛下。喜んで」

 ドレスの裾を持ち上げて一礼し、手を重ねる。大広間の中央まで歩み出ると、あれほどまで緊張で凝り固まっていた身体が嘘のように動いた。これは自分の動きではない。音楽に合わせて揺れながら、驚いたようにユーリを見上げる。身長差から随分と首を逸らさなければいけないが、支えてくれる腕があるために苦しくない。
 青海色の瞳がクレシャナを映す。
 失敗して大恥を掻くどころではない。この完璧な導き(リード)があれば、どう足掻いたって失敗などできるはずもない。くるりと回るのも、腰を抱えられて高く持ち上げられるのも、すべてユーリに身を任せていればそれだけでよかった。
 華やかな世界が回る。見上げた先に、高すぎる天井と立派なシャンデリアがあった。かと思えばよそ見をすることは許さないとでも言うように、視界のすべてをユーリの整った顔が埋め尽くす。
 不思議な気分だった。一生会うことなど叶わないだろうと思っていた相手と手を取りあって踊り、かつ、その人と夫婦になるのだという。
 しっとりと甘い音楽で頭が一杯になる。絡んだ指の優しさに、誓いのくちづけの際に「一世一代の大芝居の始まりだ」と囁かれた言葉がよみがえった。
 これは契約だと、彼は言う。偽りの、名ばかりの結婚だと。
 身分のある人の結婚がほとんどの場合において自由意思によるものでないことは理解しているが、ユーリとクレシャナの結婚は恋愛結婚という体(てい)を通している。誰が見ても分かる嘘だった。こんなにも優れた男性が、自分のような小娘にご執心とは誰も信じないだろう。
 ――それなのに。

「余裕だね。誰か他に踊りたい男でもいたかな」

 音楽に合わせて引き寄せ、耳元で囁きを落とすその声の甘さといったら、蜂蜜でも足りないくらいだ。
 手が離れても自然と足が動き、腕が伸び、彼の体温を求める。抱き上げられ、優しく微笑まれるともう青海色の瞳しか見えなくなる。
 これは芝居だ。ユーリが心を傾ける相手は、この会場にたくさんいるような美しい人に決まっている。
 それなのに、青が飲み込む。

「へいか……」
「うん? ああ、君の本当のお相手が来たようだ。行っておやり。しばらくは誰か見張りを立てて人払いをしてあげよう。だからこの曲が終わるまで、我慢しておくれ」
「我慢だなんて、そのような」

 身を揺らしながらユーリの視線を追ったが、誰を指しているのかすぐに分からなかった。くるりと回って、壁際に杖を片手に佇むジルの姿が見えた。どうやら彼のことを言っているらしい。


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