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 馬車でアスラナ城まで戻るなり、クレシャナは花嫁衣装を脱がされた。無駄な肉など一切ない腹をこれでもかと締めつけていた補正下着(コルセット)を外されるとやっと一息つけるような気がしたが、無情なことに視界の端には別のドレスが映り込んでいる。
 一度裸に剥かれて全身の汗を拭い、香油を塗りたくられ、顔には再び化粧が施された。髪も一から整え直しだ。
 次のドレスも色は白だが、式に纏ったときとは随分と印象が違う。ふわりと広がったスカートには段になるように淡い黄緑色のレースが重なっていて、膨らんだ袖には緑の糸で蔦が刺繍されてある。女官長自らが見立てた超一級品のドレスだ。これだけで軍艦一隻が買える値段だと聞いたときには眩暈を起こしそうになったが、フィーネに「王家の女性とはそういうものです」と笑って返されて今に至る。
 少しの休憩のあと、数人がかりで新たなドレスを着せられた。鏡に映る自分の姿は、一流の女官達の手によって細工され、野暮ったさが抜けたようにも見える。

「お美しゅうございますわ、王妃様」
「ありがとうございます。皆さんのおかげにございます」
「ああっ、お待ちください、妃殿下! どうか頭をお下げにならないでくださいまし、冠が!」

 血相を変えた侍女達の手がさっと伸びてきたが、頭に乗せた王妃の冠はずれるだけで済んだ。誰もがほっと胸を撫で下ろす中、クレシャナが恥ずかしそうに頬を染める。
 着替えを手伝っていた侍女達が出て行ったあとは、クレシャナ付きのフィーネと二人きりだ。クレシャナは水を一杯頼むと、ほんのり薔薇の香りがするそれを一口嚥下した。
 王妃様あるいは妃殿下と呼ばれるたびに、霞のようにおぼろげだった事実がやっと現実味を帯びてくる。厳かな聖堂で、数多の人々が見守る中で、クレシャナは神を欺いた。その恐怖が今になってどっと押し寄せてくる。
 偽りの結婚をした。してしまった。今の自分は神を欺き、国民を裏切っている。
 しかし、どうすればよかったのだろう。断ることなどできなかった。逃げることなどできなかった。クレシャナには、「はい」と言うことしか許されていなかった。
 昨夜、ジルが心配げに言った言葉を思い出す。

『なあ、姫さん。姫さんはさ、喜ばしい、ありがたいことだっつってたけど……ホントに、これでいいのか? 脅されたりしてんじゃねぇの? 嫌ならまだ間に合う! 逃げればいい。ちょっとあぶねぇけど、リロウの森の入り口側から逃げれば門をくぐらずに一の郭を出られる! あとは侍女かなんかの恰好をすれば、二の郭だって』
『いいえ、ジル。それはなりません。わたくしは……わたくしは、陛下をお慕いしているのです』
『だったらなんでそんな顔してんだよ!』

 肩を掴まれ、怒鳴られた。どうしてジルの方がそんなにも苦しそうにしているのかと、こんなときだというのに不思議で仕方なかった。ジルの提案に首を振り、手をほどき、優しく微笑んでみせたクレシャナに、彼は美麗な顔立ちを歪めて慙愧に耐えない様子で「分かった」と言ったのだ。
 優しい友人をも騙し、傷つけているのだと自覚したところで、どうすることもできなかった。

「さ、クレシャナ様。鐘が鳴りましたので、大広間へと向かいましょう。皆様が――なにより、陛下がお待ちでいらっしゃいます」
「フィーネさんは、舞踏会にはいらっしゃらないんですか?」
「残念ながら。使用人は給仕の者以外は立ち入ることができません。しかしながら、こうしてお傍でクレシャナ様の晴れ姿を見ることができて嬉しゅうございます。どうか今宵はお楽しみになってくださいませ」
「……はい」
「クレシャナ様。確かに、ご不安なことと思います。王妃様としての初のお勤めですものね。多くの方とご挨拶を交わすことになるでしょう。それはクレシャナ様にとって、楽なことではないと存じます。ですが、陛下はお優しい方ですから、きっと大丈夫ですよ」



 奇しくも、大舞踏会が始まるとフィーネの言った通りになった。
 大広間の二階にユーリとクレシャナが並んで顔を出すと、歓声と好奇の眼差しが二人を――主にクレシャナを――迎えた。ここには先ほどの式に列席できなかった人々も大勢いる。女性は皆競うように美しいドレスを纏い、階下に花を咲かせているようだった。
 ユーリに手を引かれながら螺旋階段を下り、広間に立つとあっという間に人に囲まれた。気がつけばユーリと巧みに引き離され、クレシャナはたった一人で高貴な人々と相対することになったのである。


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