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 朝告げ鳥の声がソランジュの耳に届き、沈んでいた意識がゆっくりと浮上していく。それでもまだ、身体は動かない。意識だけが目覚めの準備に入っているが、固まった身体は重く、指先一つ自由にならない。
 なにか幸せな夢を見ていた気がする。ここのところ、悪夢ばかりだった。氷のように冷たくなっていく愛しい人の姿しか夢には現れず、いつも心臓を掴まれたように跳ね起きていた。
 けれど今日は、とてもあたたかい夢だった。大きな手が頭を撫でてくれていたし、耳が痛いくらいの笑い声が聞こえていた。大好きな目がソランジュを見て、大好きな声がソランジュを呼んだ。ただそれだけで幸せなのだと痛感して、夢の中の自分は泣いていたように思う。
 もう一度あの夢に浸りたいと思っているのに、覚醒しかけた意識はそれを許さない。ううん、と拗ねたように唸ったそのとき、ソランジュの指先になにかが触れた。
 ――否、常に触れている。当たり前だ、一晩中フェリクスの手を握っているのだから。まどろみの中、存在を確かめるように微かに力を込めた。すると、また指先になにかが触れたように感じる。その感覚を不思議に思い、重たい瞼をゆるゆると持ち上げ、自分がしっかりと握っている手を見た。
 その手が、僅かに震えたような気がした。見間違いかと思えるほど、かすかな動きだった。けれどそれは、一瞬でソランジュの意識と身体を繋げ、叩き起こすほどの衝撃をもたらした。
 勢いに負けた椅子が背後に転がる。立ち上がるなりフェリクスに縋りつき、自らの鼓膜すらびりびりと震わせる大声で彼を呼んだ。

「先生!? 気がついたんですか、先生!?」

 今のが気のせいだなんて、そんなこと思いたくもない。

「せんせぇっ! せんせえ!! 起きてっ、ねえ、起きて!」

 必死で手を握る。肩を揺する。何度も繰り返した行動が、今再び熱を宿す。

「起きてください、ねえ、起きて!」

 涙はいつまでも枯れない。どれほど泣いても涙は溢れる。限りのない悲しみが、怒りが、やるせなさが、涙となって排出されてきた。ならば、今は。今流れるこの涙は、どんな感情を宿しているのだろう。
 覗き込んだフェリクスの顔に、雫が落ちる。
 何度も呼んだ。何度も叫んだ。大声に気づいた控えの医官達が慌ててやってきたが、フェリクスに変わりがないのを見るや、「いつものことか」と間続きの隣室へと下がろうとする。

「起きてください、先生。朝だよ、ねえ、せんせ。早く、お願い……! 起きてよ、ねえ、――フェリクス!」

 どうか、届いて。
 あのあたたかな夢のように、この手で頭を撫でてほしい。今はただ、目を覚ましてくれるだけでいい。多くは望まない。目を覚まして、その目にソランジュを映してくれれば、それだけでいい。
 神などいたところで慈悲など与えてくれないことは痛感していたが、それでも乞わずにはいられなかった。奇跡の子が彼を救えぬというのなら、天にまします神が彼を救ってくれることを切に願う。
 こんな身勝手を神はお許しにはならないだろうか。それでもいい。どれほどの天罰を受けようと、彼が助かるのなら、それで。

「せんっ……」

 もうそれ以上の言葉は出なかった。雷で打たれるよりも遥かに強い衝撃が全身を貫き、ソランジュの瞳から大粒の涙を押し出した。
 ――ああ、神よ。
 鉛のように重たげな瞼が震え、糸のように細く開かれる。そこから覗く瞳はぼんやりとしていて、見えているのか定かではない。
 それでも、目が開いた。ソランジュのよく知る彼の表情とは似ても似つかないけれど、それでも、待ち望んでいた瞳が現れた。

「せん、せ……」

 言いたいことがたくさんあった。目が覚めたら、まず最初に抱き着くだろうと思っていた。なのにどういうわけか、身体がちっとも動かない。下手をすればその場に崩れ落ちてしまいそうなほど、膝が笑っている。
 喉の奥が引き攣った。涙が止まらず、痛みさえ覚える。言葉の代わりに強く右手を握ったそのとき、虚ろな瞳がソランジュを緩慢に捉えた。



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