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 口に出さないまでも、下働きの女の多くが「どうしてあんな子に?」と疑問を抱いていたし、城に屋敷を持つ貴婦人達も同様の思いを胸に抱えていた。中でも独身の、特に青年王に愁派を送っていた令嬢達は、より一層複雑に思っていたことだろう。なにしろ、輿入れの際には当たり前の持参金ですら用意できるか分からない家柄なのだという。
 花嫁としては控えめに言って“好ましくない”娘であり、はっきりと言えば“お話にならない外れくじ”をアスラナ王は好んで引いたことになる。
 再び噂話に花を咲かせようとしていた侍女達の背後で、息を吸い込む音がした。あっと思ったときにはもう遅い。

「貴女たち! お喋りばかりしていないで、手を動かしなさい!」

 音もなく背後に立った女官長の雷に、侍女達は竦み上がって平身低頭した。



 自分の噂話をされていると知ってか知らずか、クレシャナは小さなくしゃみを一つ零した。結婚式に向けて採寸していた針女達が、慌てたように上着を取りに走る。寒いわけではないのだと必死に説明して、やっと彼女らは上着を手放した。
 身体のあちこちの寸法を測られ、眩暈のするような数の反物や宝石と向き合い、違いのさっぱり分からない図面を何十枚と見せられたクレシャナは、日の暮れる頃にはすっかりくたびれてしまっていた。それでもだらしなく長椅子に転がるような真似はせず、ちょんと膝を揃えて座って本を捲っている。
 城の者はもちろん、当事者であるクレシャナも目の回るような忙しさの中にいた。王妃に相応しい淑女になるため、語学、歴史、舞踏、宮廷作法に立ち振る舞い、諸侯達の間柄などなど、短期間でこれでもかと知識を詰め込まれている。
 もともと品のある仕草と言葉遣いだったクレシャナは、立ち振る舞いに関しては早々に合格が言い渡されたが、中央で暮らす女性として必要な教養は到底足りなかった。今日も日中は常に教育係が張りつき、様々な指導を受けていたのである。
 やっと夜になって解放されても、彼女は積み上げられた書物の中から一冊を選んで目を通す勤勉ぶりを見せている。温かい紅茶を用意した侍女のフィーネが、優しい微苦笑を浮かべてクレシャナの傍らにカップを置いた。

「クレシャナ様、少しお休みになられてはいかがでしょう。お疲れが出てしまいます」
「ありがとうございます、フィーネさん。ですが、わたくしには至らぬ点が多すぎ、休んでいる暇など到底……」

 悲しげに溜息を吐いたクレシャナが気分転換に一口紅茶を飲むと、今度はほっと息を吐いた。

「今、この世界の成り立ちや聖職者の起源について学んでいるのですが、難しゅうございますね。この世にはたくさんの神々がおられますのに、聖職者の方々が信仰するのは創世神さまただお一人」
「アスラナの大半は創世神信仰でございますから」

 本来、仕えるべき主と侍女が同じテーブルについて飲食を共にすることはありえない。しかし、クレシャナが「一人でお茶をするのは寂しい」と半ば懇願したため、以来フィーネは人目がなければ同席している。今宵もクレシャナと同じ茶器から紅茶を淹れ、その香りと味を楽しんだ。
 夜食にと持ってきた軽い菓子に手を伸ばしかけたクレシャナだったが、手は菓子を持つことなく軽く溜息を吐いた口元へと移動する。

「創世神信仰……。それが不思議に思うのです。他の神々は、皆さま御名をお持ちにございます。たとえば、ホーリーの海神ルタンシーンさまに、エルガートの雷神トロヴァオさま。しかしながら、創世神さまの御名はどの書物を紐解いても記されていないのです。不勉強で恥ずかしい限りなのですが、フィーネさんはご存知でしょうか」

 己の無知を恥じるように俯いたクレシャナに、フィーネは「とんでもない」と首を振った。

「クレシャナ様が恥じる必要はございません。創世神様のお名前は、誰も存じ上げないのですから」
「誰も?」
「はい。創世神様は自らの名を知る者に、書き記すことはもちろん、口伝えることも禁止なさったそうです。世に伝えられたのは、創世神様の『白き御名の神』という呼び方だけ。どの教会の書庫にも創世神様の御名が記された書物などなく、また、たとえ聖職者の王たる陛下でさえ存じえないことでしょう」

 クレシャナは驚きに目を瞠り、シエラの姿を思い描いた。



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