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「てゅーる、こども。おとな、ちがう。おとな、たりない」
「足りナイのハ、頭の中身デショ」
小馬鹿にしたように鼻を鳴らすスカーティニアの額を小突き、レイニーは視線をテュールからバスィールへと移した。
「――それよりアタシは、そっちの彼の方が気になるんだけど」
雨上がりの空を思わせる鮮やかな色の瞳が、微動だにせず直立していたバスィールを射抜く。極彩色の僧衣から覗く手足には芸術的な刺青(しせい)が彫り刻まれ、身の丈ほどの錫杖を携えた姿は目立つなと言う方が難しい。
見る者が見れば、彼がどういった出自の者かすぐに分かっただろう。
閉ざされた国、オリヴィニス。それは魔女にとっても興味深い存在らしい。
「アナタ、オリヴィニスの人よね。見たところ僧侶のようだし、詳しくお名前を伺ってもいいかしら」
「オリヴィニスがシャガルの僧、バスィール・ソヘイル・ジア・マクトゥームと申す。貴女は雨涙の魔女とお見受けするが、正しいか」
「あら、ご丁寧にどうもありがとう。その通りだけれど、その通称はこの子達から聞いたのかしら」
レイニーが“雨涙の魔女”と呼ばれていることを、シエラはバスィールに告げた覚えがなかった。先ほどの自己紹介でも、彼女は「魔女のレイニーよ」としか名乗っていない。ならば道中でクラウスから聞いたのだろうか。
しかし、正解は少し意外なものだった。
「貴女のことは、我が古き友より聞き及んでいる。友は貴女を、『穢れなき雲と、雨上がりの空を宿す者』と言っていた」
「――友達? ちなみに、その方の名前を伺っても?」
退屈そうにサイラスが欠伸をするのを、シエラは視界の端に収めていた。ルチアは大きなスカーティニアに抱きつこうとして、近づいた瞬間に唸られてしまっている。
レイニーの腕の中に収まっているテュールが、まるでバスィールの言葉の先を知っているかのように柔らかく微笑んだ。
「シーカー、と」
途端にレイニーは目を丸くさせ、スカーティニアはぴんと尻尾を立てて身を震わせた。
シエラ達にはそれが誰の名前であり、どんな人物であるのかは想像がつかない。けれど彼女らには心当たりがあったらしい。
「……へえ、ああ、そう、なるほど。アナタ、彼と知り合いだったの。さっすが、オリヴィニスの方だこと。――よかったわね、お嬢ちゃん。心強い味方ができて」
「え? あ、ああ……」
シーカーとはどんな人物か問いかけたくとも、レイニーの笑顔が有無を言わせない。
「それより、今日はあのボウヤは一緒じゃないの? アナタ達、いつもべったりくっついていたのに」
「エルクディアは王都騎士団の総隊長として忙しい。そういつも一瞬にいるわけじゃない」
「あら、そうなの? せっかくだからボウヤにも会いたいんだけど……。あとで呼んできてくれないかしら?」
「ああ。サイラス、あとでエルクディアに伝えておいてくれ」
「え、ああ、ハイ。りょーかいっす」
エルクディアは今頃、騎士館で十三隊の隊長達を前に軍議の真っ最中だろう。先日解決した魔導師学園とのいざこざは、まだ完全に鎮火したわけではない。地方では未だに魔導師が聖職者の頭を押さえつけるような体勢が残っていると聞くし、なにより内乱の噂を聞きつけた賊が騒ぎに便乗しようと各地に現れているとの情報もある。
それになにより、彼らは今、城の警備体制について緻密な計画を練らなければならない時期だった。
アスラナ王の結婚が発表されて以来、アスラナ城内は上を下への大騒ぎだ。式までに用意された時間は僅かひと月半ほどしかなく、シエラ自身もひっきりなしに「ドレスの色は何色がいいか」「レースはどんなものを使うか」「宝石は」「髪型は」と侍女達に追い回され、うんざりとしていた。
大国アスラナの王の結婚式ともなれば、世界中から賓客が訪れる。間違っても侵入者など許してはならず、つつがなく式を終えることが最低条件だ。そんな中で王都騎士団の長であるエルクディアに自由に使える時間など、ほとんど存在しないに等しかった。
祓魔の仕事はそう回されないので、必然的に城を出ることもなく、別段エルクディアがいなくとも困らない。
そんな事実を述べただけだというのに、レイニーはかぶり直した頭巾の下でなにやら考え込んでいるようだった。降りてきた沈黙を飾るように、スカーティニアが鼻を鳴らす。