5 [ 553/682 ]

「しえら、いこ!」
「え? おいっ、テュール! テュールっ!」

 小さな子どもは屈託のない笑みを浮かべ、男達の頭上をあっさりと飛んで通過していった。美しい被膜の翼が羽ばたくたび、辺りに清らかな風が吹いていく。その光景に誰もが驚いて手を止めて唖然とし、その拍子に壁が崩れた。
 その隙に波を割って奥に進んだシエラは、侍女達が隠そうとしたもの――それは確かに信じがたいものだった――を見て、足を止めた。己の意思で停止したというよりも、本能がそれ以上近づきたくないと告げたようなものだった。
 たたらを踏むシエラとは違い、テュールは迷いなく飛んでいく。

「サイラス! ああもうっ! やめろって、なあ! くっそ、サイラス!! いい加減離れろ!」
「い、や、よっ! ちょっと気安く触らないでよ、アタシがどんな思いでここまで来たと思ってるの!?」
「だぁあああっ、喋んじゃねぇ気持ち悪い!」
「気持ち悪いってなによ、このアタシを一体なんだと、――って、あら」

 ユーリの長躯に抱き着き、他の騎士達がどんなに必死で引き剥がそうとしても決して離れようとはしなかったサイラスが、シエラと目が合うなり嘘のようにあっさりと身体を離した。「おおっ」とどよめきが生じるが、お世辞にも女性的とは言えない男の女言葉と仕草を目の当たりにしたシエラには、寒気ばかりが先行して一緒に喜べる状況ではない。
 安堵の笑みを浮かべるサイラスから一歩足を引いたところで、ふわりとテュールが舞い降りてきた。短い両腕を精一杯広げ、サイラスに抱き着こうとする。

「テュール待てっ、変態がうつる!」
「ちょっと、変態ってどういう意味かしら、後継者のお嬢ちゃん」

 迷うことなくテュールを抱きとめたサイラスが、不機嫌そうに唇を尖らせた。どこからどう見てもサイラスでしかないが、誰かを想起させるその口調に、シエラはふとユーリを見た。青海色の瞳が、困ったように垂れている。
 顔も、声も、身体も。そのすべてが王都騎士団十番隊アスクレピオスのサイラス・ファングのものだ。だが、その器に収まる魂が明らかに異なっている。仕草や口調だけではなく、立ち昇る雰囲気がまるで違っていた。
 サイラスの赤みのある瞳が、ほんの一瞬雨上がりの空のような真逆の色に輝いて見える。その色には覚えがあった。なにより、シエラが今最も会いたい人物と言っても過言ではない相手だ。

「……レイニー?」

 そう呼びかけた途端、サイラスはテュールを抱いたままくるりとその場で一回転し、優雅に礼をしてみせた。あまりに奇怪な光景に、周りの騎士達がうげっと呻き声を上げている。
 ユーリも同様に苦い表情ながらも、サイラスに――否、雨涙の魔女レイニーに笑いかけた。

「さすがにその姿では、再会の挨拶は見逃していただけるかな?」

 いくら中身が女性でも、サイラスの手を取って甲に口づけるのは避けたいらしい。見る側としてもあまり楽しい光景ではないので、ユーリのそれは英断に思えた。

「まじょ。あめの、まじょ」
「ええ、そうよ。アタシもちょっと焦っちゃってて、騒がせちゃったわね。ごめんなさい。――改めまして、アスラナ城の皆さま。アタシはレイニー。通称“雨涙の魔女”。よろしくね」

 レイニーの挨拶に、集まっていた人々が再びざわめく。雨涙の魔女の名を知っている者は驚愕し、知らぬ者はそれはなんだと知っている者の脇腹をつついて情報を問うた。
 ユーリが彼女をレイニーと認めたことで、サイラスのあらぬ疑いも徐々に晴れていったらしい。気味悪がりつつもどこか安堵した様子で、騎士達は拘束しようとしていたサイラスの身体から離れた。

「でもレイニー、なんでサイラスに憑依してるんだ? 今日は雨も降っていないのに」
「その辺りは少し事情があるのよ。――王さま、このお城でいっちばん結界の強固な場所に連れて行ってくれない? そこで全部お話しましょ」
「ここで君の本来の姿を見せるわけにはいかないと、そういうことかな」
「物分かりがよくて助かるわ。それと、黒猫がお城の中に入ってきても追い出さないでもらえる? アタシの大切なお友達だから」
「分かった。皆に伝えておくよ」

 レイニーの言う黒猫とはスカーティニアのことだろう。だが、スカーティニアならばわざわざこんなお願いなどしなくとも、ユーリの私室に直接飛んで入ってこられるはずだ。何度かそうしたことがあると聞いていたシエラは、軽く首を傾げてレイニーを見つめた。苦笑交じりに微笑む顔はサイラスのものなのでどうしても違和感があるが、その複雑な表情から読み取れるものは少なくなかった。
 どうやら、彼女達にはこの場では話せない事情があるらしい。もしかしたら、スカーティニアの方も姿を変えているのかもしれない。


[*prev] [next#]
しおりを挟む


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -