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「――ならば、死ね」

 目の前の男が低く吐き捨て、槍の先から人の頭ほどの大きさの炎球を放った。ゴッと音を立てたそれがレイニーを食らうべく突き進んできたが、間一髪のところで避けて事なきを得る。
 代わりに、背後で壁の崩れる音がした。壁一面を覆うようにして天井まで伸びた本棚が崩れ、書物と一緒に並べていた瓶が床へと飛び降りて次々に悲鳴を上げる。

「レイニー!」
「分かってる!!」

 そうは言っても、痛みを訴える身体は思うように動かない。土人形の来訪もなかなか強烈なものだったが、今の状況はそれとは比べものにならなかった。
 頭の上を、身体のすぐ脇を、炎の槍が飛び抜け、家を陵辱していく。
 転がるように逃げ惑いながら、レイニーは必死に頭を働かせていた。薬品棚が倒され、長い時間をかけて作った秘薬が無残にも飛び散っていく音が、焦る心をさらに急かす。

「我らから逃げられるとでも思っているのか、低俗な魔女よ」
「それを今、考えてるっ、んで、しょうが!」
「無駄なことを。大人しくしていれば、楽に殺してやる」
「アンタ達、それ、完全に悪役の台詞だって分かってる!?」

 彼らが歌劇など観ないことは百も承知の上で言い、降りそそぐガラスの雨からスカーティニアを庇うように胸に抱いて走った。
 天井から埃が降り、窓が鳴き喚くこの家は、もうじき崩れるだろうことが明白だ。せっかく安住の地を見つけたというのに、これでは住処を変えるしかない。
 それもこれも、ここから生き延びることができたならの話だけれど。

「レイニーっ、どうスルノ!?」
「どうもこうもないわよ! とりあえず撒いて、それから“あそこ”に集合!」
「逃げられルノ?」
「馬鹿にしないでよね! アタシはこれでも、六大魔女の一人だっての!!」

 家はすでに断末魔を上げている。魔法具を取りに行く余裕もないほどの凄まじい攻撃を前に、一人と一匹は文字通り死に物狂いで外を目指した。
 ローブが捲れ上がった先に、日の光を知らないような白い肌が浮かび上がる。睫毛さえ白く、不気味なまでの儚さを感じさせる風貌は、けれど決して生気を欠いてはいなかった。

「スカーッ、死なないでね!」
「レイニーこそ!」

 現世に生きる魔女は少なからず存在する。誰もがひっそりと隠れるように暮らしているが、その中でも力ある者の名は伝聞により不思議と広まっていく。
 この世に名を馳せる六人の魔女を、六大魔女と呼んだ。
 <秘密の魔女>ミスティコ、<調和の魔女>アルモニア、<鋼の魔女>アシエ、<雨涙の魔女>レイニー。
 残る二人のうち、一人が六大魔女最強と呼ばれる<ベスティアの魔女>レティシア。そして最後の一人が、レティシアに比肩しうる力の持ち主とされている<御使いの魔女>だ。
 <御使いの魔女>の詳細は誰も知らない。名前はおろか、その姿すら伝えられていない。彼女を知るのはレティシアのみとさえ噂されていて、通り名だけが浸透していた。
 そんな六大魔女に名を連ねているレイニーだが、戦闘力という意味においては最弱だ。レイニーが選ばれたのは、類稀なる憑依術のおかげに他ならない。
 ならば今こそ、その力を余すことなく発揮すべきだ。

「アナタ達に、アタシが捕まえられるかしら?」

 懐から取り出した小瓶の中身を一気に煽り、レイニーは壊れかけた玄関から飛び出した。翼を消し、ただの黒猫と化したスカーティニアがその足元を擦り抜け、路地裏の薄闇に消えていく。背後で壁が崩れ、今しがたくぐり抜けたばかりの扉が消炭のように砕かれる音を聞いた。
 横暴極まりない客人は、長年ひっそりと暮らしていた気に入りの屋敷を容赦なく破壊していく。隠し部屋の魔法具が無事であることを祈るばかりだ。
 背後に迫る殺気を感じた瞬間、レイニーは光差す表通りに姿をくらませた。人混みに紛れたのでもなければ、物陰に隠れたわけでもない。男達が恐ろしいまでの速さで路地裏を飛び出してきたが、そのときすでにレイニーの姿はどこにもなかった。
 男の足元には、深藍の外套(ローブ)だけが取り残されている。

 ――雨涙の魔女の神髄は、憑依魔法にある。
 



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