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「心は傾き、蒼に染まる。花咲く準備はできているのに、どうして拒むの?」
「なにを……」
「貴方、あの子を愛している。あの子、貴方を愛している。なのにどうして、貴方は拒むの?」
「近寄るな。お前は誰だ。シエラじゃないんだな?」

 詰問するような口調になったのは、そうでなければ怯んでしまいそうだったからだ。吹けば飛びそうな女性を前に怯えるなど、通常では考えられないことだった。

「大丈夫。あの子はまだ、私ではない。あの子は貴方を選び、貴方は私を選ぶ。大丈夫、蒼い世界に、貴方は咲く。かつてのあの子がそうしたように」
「一体なんの話をしているんだ!」

 蒼く美しい氷の花が降りしきる。
 気がつけば、背中に氷の柱が触れていた。退路を断たれたエルクディアの前に、美しい女性が微笑んでいる。彼女はすっと手を伸ばし、頬に触れてきた。目を瞠るエルクディアに構うことなく、柔らかな唇が重なる。注ぎ込まれた言葉がなにを意味していたのか、エルクディアには分からない。
 まるで母のような慈愛をもってエルクディアを抱き締め、女性は言った。

「あの子の柱は、貴方のために」

 ――パキン。
 どこかで、なにかが凍る音がした。


+ + +



 もうすぐ雪解けの月が訪れるという頃、アスラナ王都は大変な賑わいを見せていた。
 寝ても覚めても話題は国王の結婚で持ちきりで、一日の間にその話題を一度も持ち出さない者はいないほどだった。パン屋の主人、宿屋の女将、花屋の娘。誰も彼もが浮足立ち、大国アスラナの王妃は一体どんな人物になるのかと語り明かしている。
 王都の露店では国王の姿絵が飛ぶように売れ、城に勤める者から聞いた噂から描いた王妃の想像画まで広く出回っていた。
 国王の結婚式は来月だ。あとひと月もすれば寒さは十分に和らぎ、新たな御柱を迎えるにはうってつけの日和となることだろう。街の仕立て屋は高級店も一般向けの店も、どこも大量の生地を抱えててんてこ舞いだ。その嬉しい悲鳴は仕立て屋だけでなく、宝石店や花屋からも次々と聞こえてきていた。
 王都のあちこちで音楽が奏でられる。国王の慶事を祝う楽しげな音楽は、つい最近まで影を落としていた魔導師との確執を綺麗さっぱり払拭するようでもあった。
 石畳の上を走り回る子ども達の笑い声から逃げるように、影が路地裏に回り込む。闇に誘われるように進んだ先に、その建物はあった。
 壁には蔦が這い、窓にはきっちりと暗幕が引かれていて中の様子は伺えない。二階建ての家の扉は木製で、小さな覗き窓と叩き金がついている。なんの変哲もない一軒家だが、不思議と扉を叩くのが躊躇われる雰囲気のその建物が、突如として大きく揺れた。

「――ッ!」

 華やかな雰囲気が漂う王都の路地裏で、苦しげな声が響く。蔦の這う屋敷の住人は、藍色の頭巾(フード)から純白の髪を垂らして喘いでいた。
 雨上がりの空を思わせる色の瞳が、恐怖と不満を織り交ぜながら招かざる客を睨み上げる。

「貴様のせいであの方はすべてを失った」
「答えろ、裏切り者。“あれ”はどこだ」

 まるで氷のように冷たく、無機質な声だった。
 藍の外套(ローブ)を纏った女――レイニーは、凄まじい力で壁に叩きつけられた身体をやっとのことで起こし、ふらつきながらも立ち上がった。全身が痛み、骨が軋んでいる。
 彼らの来訪は突然だった。ノックもなしに扉は開け放たれ――むしろ今となっては、あの勢いで破られなかったことに驚いた――、ずかずかと上り込んできた客人を見た瞬間、レイニーは自分の心臓が一度止まったように感じた。慌てて逃げ出そうとしたが、踵を返したときにはもう遅い。
 次の瞬間、風を切る速さでにじり寄られ、レイニーの身体は宙を滑っていた。

「さあ答えろ、汚らわしい裏切り者」
「知らないわ。分かるはずがないでしょう。アタシは隠したりしてないもの」

 首筋に刃物の冷たい感触が押し当てられていたが、それでも気丈に笑ってみせた。スカーティニアは自由の身だが、彼らを前に動く余裕はない。レイニーとて、スカーティニアを人化させる呪文を紡ぐ余裕などなかったし、仮にあったとしてもそれで彼らに敵うとも思えない。
 まともに戦ったところで勝てるはずがないのだ。そんなことは誰に言われずとも分かっている。
 このままでは、この命が刈り取られるということも。


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