1 [ 549/682 ]

*第30話


 ――ああ、ほら、青が揺れる。

 貴方が何者であり、私が何者であるのか、私はすでに知っている。
 知っていてなお、貴方に近づいた。
 穢れを纏った身体で貴方に触れる。それはなんと罪深いことか。

 神が望む蒼い世界を、私は知らない。
 けれど私は、青い世界ならば知っている。

 空と、海と。
 二つの青が世界をつくる。
 二つの尊き青に挟まれて生きることを望んだ私へ、貴方は罰を与えた。

 純白の檻が私を囲む。
 華やかなドレスは、世界一美しい拘束衣となるだろう。



聖女の契約



 しゃん、りん、しゃら。
 まるで鈴の音のような、澄んだ音が聞こえる。絶え間なく奏でられているその音は、それでいて耳に不快ではなかった。それどころか心地よく胸の奥まで染み渡り、淀んだ空気を浄化するような気さえする。
 静かに降り積もる音の中、エルクディアはゆっくりと瞼を押し開けた。
 目の前には、蒼い世界が広がっている。鈴の音と思ったそれは、氷の花が降る音だった。氷の結晶とはまったく異なっており、水晶のような花びらを幾重も持つ花は、蒼く透き通っている。
 蒼い光を放ちながら空から雪と共に降ってくる花を、エルクディアは手のひらで受け止めた。
 石のように硬質ではあるが、触れると刺すように冷たい。じんわりと熱を奪われ、痛みによって手のひらが痺れていく。濡れた感触はあるのに、触れただけでは花は溶けようともしなかった。
 辺りを見回せば、水晶の巨大な結晶か、それとも氷か、もはや判断のつかない薄青の塊が地面から生えている。支える屋根はないけれど、それはまるで柱そのものだ。
 これだけ寒々しい場所にいるにもかかわらず、不思議なことにエルクディアは微塵も冷えを感じていなかった。あるとすれば、降りしきる氷の花に触れたときくらいだ。
 歩を進めるたびに、靴裏で氷の砕ける音がする。キィンと甲高く響くそれは、薄い金属を触れ合わせたときの音によく似ていた。
 あてもなく歩いているうちに、氷の柱の向こうに蒼が揺れるのを見た。どくりと心臓が大きく跳ねる。風を受けて靡くそれは、エルクディアもよく知るものだ。

「シエラ……?」

 腰まである蒼い髪を風に遊ばせ、柱の向こうの女性が振り返る。それはシエラであるはずだった。猫のような金の瞳がこちらを見て、「エルク?」と子どものように首を傾げるはずだった。
 だが、その人はシエラであるはずなのに、シエラではなかった。
 目の前で流れるのは蒼い髪。こちらを見るのは金の瞳。透けるような白い肌に、瞠目するほど整った顔立ち。そのどれもがシエラを表現するときに用いられる言葉だったが、彼女はシエラとは全くの別人だった。
 ――そんなはずがない。蒼い髪に金の瞳を持つ者は、この世にたった一人しかいないはずだ。
 驚愕に言葉を失ったエルクディアに、女性は柔らかく微笑んだ。

「いいえ、私、あの子ではない。これは夢。貴方の見る小さな夢。私と貴方、まだ夢でしか会えない」

 奏でられた声は銀の鈴を振ったように清廉で美しく、心に沁み渡った。それだけで胸が締めつけられ、手を伸ばしたくなる衝動を抑えるのに全神経を使わなければならなかった。
 女性の声は媚びるような艶を持っているわけではないのに、どんな女のそれよりも蠱惑的に聞こえた。誘うような響きなどないのに、誘われる。これほど美しければ敬遠してしまいそうなほどなのに、なぜか無性に欲してしまう。
 自分でも異常だと感じる衝動に突き動かされながら、エルクディアはぐっと拳を握り締めることで耐えていた。女性が言った言葉の意味を考えるだけの余裕はない。
 女性は穏やかに微笑み、小さな手のひらを天へと向けた。両手で器を作り、なにかを掬うような動作をしてみせた。しかし彼女はただ掬うのではなく、新たに生み出したのだ。
 空から降ってきた一片の雪を包み込んだ彼女は、瞬く間に手のひらに氷の花を咲かせてみせた。

「貴方、どうしてくちづけないの?」

 蒼く光を放つ氷の花に口づけて、女性は滑るような足取りでエルクディアに近づいてくる。金の瞳が柔らかく弧を描いて見つめ、薔薇色の唇が甘い吐息を漏らす。
 退くように一歩下がったのは、無意識のことだった。
 女性は氷と同じ色合いの、透けるような薄青の衣を身に纏っていた。地に引きずるほど長いドレスのあちこちに、氷の花が咲いている。


[*prev] [next#]
しおりを挟む


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -