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「あの子は希望そのものだ。こんな純粋な生き物がいるんだって、教えてくれた。もしたいちょになんかあったら、あの子はきっとおかしくなるんだよね。だとしたら、俺は魔導師を許せない。それこそ単身奥の塔に忍び込んで、あの二人の首を刈り取ってきてやるよ」

 言葉を探すフォルクハルトの目の前で手を打って、サイラスは満面の笑みを浮かべた。

「でも、そんな俺のことはいーの。ハイ、この話はおしまい! 俺より、ヴィシャムさんの方は大丈夫?」
「虎野郎は変わりねぇよ。ピンピンしてら」
「嘘つき。ヴィシャムさんが落ち込んでるから、俺も落ち込んでるんじゃないかって心配して来たくせに」
「るっせぇ! そんなんじゃねぇよ!」

 途端に鋭い目つきで睨まれたが、サイラスはへらりと笑うことで躱してみせた。
 理事長室で倒れていた女性がヴィシャムの恋人だと知ったのは、城に戻ってきてすぐのことだった。ラヴァリルが「ミューラの恋人はどこに」と切り出したことをきっかけに、彼らは望まぬ再会を果たした。
 戦で敗れたのではなく、味方であるはずのロータルに殺されたと聞き、ヴィシャムはなにを思ったのだろう。サイラスとて事後処理に走り回っていたから、彼と話す機会はそうそうなかった。

「……お前、これで終わったと思うか?」
「少なくとも、魔導師とのいざこざは終わったんじゃない? 魔導師は聖職者の監視下に入る、民衆に広がってた聖職者批判思考はどこからともなく流れ始めた“当たり障りのない”魔導師側の悪事の噂によって払拭、そこにトドメのへーかの結婚。国民感情は一気にお祭りムード、素晴らしきアスラナ王に幸あれ! ってね」
「なんかすっげぇ棘だな、オイ」
「伊達にムラサキウニって呼ばれてないんでね!」

 足元の小石を蹴り上げ、サイラスは昏く笑う。

「どう考えてもこれで終わるわけがない。魔物に銃に、問題はなに一つ解決してない。挙句、“シエラ様”が参加したから“聖戦”だって? ――ざけんな、あの場所にンなお綺麗な名前が付けられるか」
「お前がキレてんのはよく分かった。八つ当たりされんの嫌だから帰るわ」
「フォルト。そんな頭でも聖職者なんだから、気をつけなよ」
「お前にだけは頭のこと言われたくねぇな」

 世界は荒々しく動き始めた。その荒波の中、舵を取るのは聖職者の王だ。
 他の国とは違う。否が応でもその違いが波乱を呼ぶ。
 聖職者は聖職者らしく、魔物だけを相手に戦っていればいいものを。
 サイラスの小さな舌打ちを聞いた者は、幸いにもこの場にはいなかった。


+ + +



 魔導師との騒動で忙しない時間が流れていたアスラナ城は、今や打って変わって、ユーリの婚姻を控えて大わらわだ。まるでクラウディオ平原での戦いなどなかったかのような様相を、シエラはひんやりと見つめていた。
 結婚式がひと月半後に行われると聞いた者達は、誰もが耳を疑って腰を抜かしそうになっていた。それはそうだ。料理や楽団の手配、ましてや招待客をどうするか考える時間が雀の涙ほどもない。
 アスラナ王の結婚式となれば、他国からも用心を招くことになる。彼らがアスラナにやってくるまでの時間を計算し、文官達は徹夜で招待状をしたため、早馬を使って世界中に散っていった。
 そんな忙しさを目にしながらも、シエラには特にやることがない。ラヴァリル達が収容されている奥の塔へ行くことも許されず、部屋で式典の手順を確認するくらいがせいぜいだった。

「ねえ、シエラ!」

 羊皮紙を捲るシエラの手を止めたのは、突風のように部屋に飛び込んできたルチアだ。髪をぼさぼさにして肩を上下させる珍しい姿に、一瞬フェリクスのことが頭をよぎった。さっと肝が冷えたが、ルチアは両手に抱えたものを突き出すことでシエラの杞憂を跳ねのけた。
 だがそれは、代わりに別の不安を連れてやってきた。

「テュール! おい、どうした!? しっかりしろ!」
「さっきからずっとぐったりして、すっごくしんどそうなの! おくすりも全然効かないし、シエラ、どぉしよう」
「どう、って……、そんな」

 ここ最近テュールの体調がすぐれないことには気がついていたが、幻獣を診ることができる医者などそういない。しばらくすればすぐに元気になるだろうと思っていたのがまずかったか。
 涙目でテュールを抱き締めるルチアは、フェリクスを看ていたときの冷静さが嘘のように困惑していた。シエラとてどうすればいいのか分からない。城には獣医もいるが、幻獣の病気に対処できるかは不明だ。

「……そうだ、レイニーだ」
「れいにー?」
「城下町の外れに魔女がいる。あの魔女はテュールのことにも詳しかったから、訪ねればきっとなんとかしてくれるはずだ」

 ひとまずテュールを寝台(ベッド)の上にそっと寝かせ、青褪めた表情で肩で息をするルチアを宥める。視線を合わせて優しく抱き締めてやれば、少女は次第に呼吸を落ち着かせていった。

「大丈夫だ、ルチア。この前のことがあって以来、私は少し外出が難しくなっている。ライナに頼んで人を連れてきてもらうから、お前はここで待っていろ。いいな?」
「う、うん……」
「テュールのことなら心配いらない。魔女がきっと助けてくれる」

 吹き出物一つない額に軽く口づけ、シエラはライナを探すべく踵を返した。だが、数歩も歩き出さないうちにルチアがシエラを呼ぶ。よほど不安なのか、せっかく落ち着いたと思われた声は再び震えていた。

「……し、シエラぁ」
「すぐに戻るから心配す、」

 シエラの言葉は、振り向いた瞬間に途切れた。今のルチアと同じような顔を自分もしているのだろうと、不思議と客観的に考えた。
 柔らかなベッドの上に、“それ”はいた。今し方テュールを寝かせたはずのそこに、ルチアよりも一回り小さな子どもが身体を丸くさせて眠っている。輝くような肌は青白いが、不健康そうには見えない。ふっくらとした頬がほんのりと赤く染まり、桜色の唇には柔らかそうな指が咥えられている。癖のついた髪は、不思議な色合いだった。見る角度によって色の濃淡が変わる青緑色のそれは、テュールの鱗と同じ色だ。
 呆然とするシエラ達の前で、子どもが身じろぐ。眠たげに擦られた瞼の向こうから覗いた瞳は、左右で色が異なっていた。そのどちらもが宝石のように輝いている。

「――しえら」

 嬉しそうに微笑んだ子どもの裸の背には、小さな被膜の翼が生えていた。



 ――神の後継者のもとで竜が目覚めたその日、ベスティアの大地が燃えた。



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(2015.0329)


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