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「エルク、ひとまずお城に戻りましょう。馬はありますから、貴方はラヴァリルを運んでください」
「……分かった」
「戻ったら、少し時間をください。お話したいことがあります」

 ライナからこう切り出されるのは何度目だろう。ぐったりとするラヴァリルを抱き上げながら頷き、了解の意を示す。エルクディアも話したいことは山ほどあった。
 バスィールがリースを抱え、馬に乗せた。治療が急がれるのはラヴァリルの方だ。一足先に戻ることを余儀なくされたエルクディアは、馬上で言葉にならない焦燥感に胸を焦がしていた。

 蒼い髪に、金の瞳。
 この世にたった一人しか存在しない奇跡の子、神の後継者。
 それは間違えようがない。
 だが、それでも思う。

 彼女は本当に、シエラ・ディサイヤなのかと。


+ + +



「貴女が思うより、ずっと簡単だったでしょう?」

 蒼い世界に溶けることは。

「貴女だけが、蒼い花を咲かせられる」

 冷たく凍てついた、美しい氷の花。
 激しい炎の中にあろうと溶けることはない、永久を約束した花。

「愛しいのなら、くちづけて。氷の柱は、貴女の愛し子封じるためにあるのだから」

 迷わないで。
 痛みはすべて取り去ってあげる。すべて凍らせてしまえばいい。
 そうすれば、ほら、もう痛くなんてないでしょう?
 大丈夫、貴女、いつもそうしてきた。
 だから大丈夫。
 痛みも苦しみも、すべて凍らせて。

「今度は、貴女だけの蒼い剣(つるぎ)を呼んで」

 蒼い花を咲かせて。
 蒼い剣を振るって。
 ――そして貴女、神になる。


+ + +



 空が高い。雪雲はこのところ薄くなり、白い小花が降り落ちることも少なくなってきた。もうじきアスラナの長い冬が終わるのだ。雪解けにはまだ遠くとも、必ず季節は巡る。今はまだ冷たい風を全身に感じながら、サイラスは騎士館の庭先で剣の手入れを行っていた。一頻り運動した後なので、ひやりとした風がちょうどいいのだ。
 つい今しがたまで剣を交えていた相手は、騎士団の人間でも兵士でもなかった。彼は銀の髪を持っているのだから当然だ。フォルクハルトは猫背をさらに丸めて刃こぼれの生じた長剣を眺めている。
 聖職者との打ち合いで真剣を使うとは想像だにしていなかった。木刀でやろうと言ったのに、フォルクハルトが頑として譲らなかったのだ。言うだけあって、彼の腕はなかなかのものだった。

「……そっち、どうなった」
「へ? なにが?」

 剣のことかと思ったが、どうやら違うらしい。夕陽色の瞳が剣呑に顰められ、医務室のある方に視線が移ったのを見てサイラスは苦笑した。

「たいちょならまだ寝てるよ。このままじゃ給料ドロボーだからさっさと起きて仕事してもらわないと困るってのにさぁ」
「そうか。大分経つな」

 魔導師との戦いがロータル・バーナーの死という形で終結してから、もうすでに一週間が過ぎた。
 謀叛を企てた主犯格として、一部の教師陣が刑に処された。ロータルに従って武器を掲げた魔導師達に関しては、財産の一部没収等をもって罰することになった。リヴァース学園を代表とする魔導師学園については、数人の聖職者が監視につくことで運営が再開される見通しだ。
 主犯格の中でも最も重罪と考えられるラヴァリル・ハーネットとリース・シャイリーは、驚くべきことにシエラ自身が王の前に連れてきた。ユーリが苦い顔で彼らの死罪を言い渡した瞬間を、サイラスは今でも瞼の裏に思い描ける。

「……お前、どうなんだよ」
「だからなにが?」
「落ち込んでんじゃねぇのかって聞いてんだよ! 自分とこの大将は目ぇ覚まさねぇし、そんな目に遭わせた張本人は“ああ”だし! 腸煮えくり返ってんじゃねぇのか!」
「そんな長い台詞を『どうなんだよ』の一言で片付けんのやめてくんない!? 分かるわけないっしょ!?」

 驚き混じりに言い返すと、フォルクハルトが目に見えて不満そうな顔をした。どうして怒鳴られなければならないとでも言いたげだ。

「……そりゃね、あの二人が今ものうのうと生きてるってのは、正直腑に落ちないよ。狸ジジイに関してもそうだ。自殺だろうが暗殺だろうが、他の誰でもないこの手で殺してやれたらどれだけよかったか。へーかの魔導師に関する処置は、甘いの一言に尽きる」
「…………」
「でも、分かってんだよ。リルちゃんとリースがどうしようもない状態にあったってのも、魔導師全員を殺すわけにもいかないことも。……シエラちゃんが、あの二人の助命を願い出ることも、分かってた」

 ユーリの前に魔導師の二人を連れてきたシエラは、その場で彼らの助命を願った。極刑しかないと言われた二人に対し、それはあまりに厳しすぎると言ったのだ。
 彼女は「神の後継者」としてそれを乞うた。ある意味脅しとも取れる奥の手を発動させた彼女に、ユーリはもちろん、重鎮達も顔を見合わせて思案した。結局、ロータルに近しい者がことごとく消されていたという事実を鑑み、彼らが生存する魔導師の中で最も真実に近い立場の者であろうと判断され、アスラナ城の裏――リロウの森とのほぼ堺に構えた、奥の塔に収容されることになったのである。
 奥の塔は重罪人が収容される牢獄だ。脱獄は不可能と呼ばれる堅牢な造りで、妥協できうるぎりぎりの線がそこだった。

「俺はぶっちゃけ、あの場にいた全員殺したって足りないって思ってるけどね。でもま、本当にそうしたいのはソラちゃんだろうから」

 泣き濡れるソランジュの瞳を毎日見ている。毎日毎日、彼女は新しい涙を流してフェリクスの目覚めを待っていた。
 あんなにも悲痛な声は、毎日聞くものではない。来る日も来る日も優しく語りかけ、起きてくれと懇願する声は、否応なく聞く者の心を軋ませる。

「嘘かホントか、たいちょを撃ったのがリルちゃんだって話も出てるしね。そんなこと、あの子の耳には入れられない」
「分からなくもねぇが、ちっと過保護じゃねぇの?」
「かもね。……なあ、フォルト。ついでに聞いてってよ。俺さ、ソラちゃんのこと好きなんだよね」

 告げるなり、フォルクハルトは蛙のように呻いて押し黙ってしまった。彼にこういった話は向かないらしい。想像通りのことなので、サイラスも笑って言葉を続ける。

「つっても、俺はたいちょに恋をしてるあの子が好きなんだよ。傲慢な言い方で嫌なんだけどさ、もしソラちゃんが俺のこと好きになってくれるとするっしょ? そしたら俺、一気に冷めると思うんだよね」
「はあ?」
「別に俺じゃなくてもいいんだよ。たいちょから他の誰かになびいたって、あの子が本気で追いかけてるなら応援できる。俺以外なら誰でもいーの。なんて言やいいのかなー。……限りなく恋に近くて、一番恋から遠い『好き』かも」

 単純な恋心などではない。かといって、親心や友愛ともまた違う。
 あの空色の瞳がキラキラと輝いて誰かを見つめ、小さな手足を懸命に動かして追いかける様が好きだ。子犬がご主人さまに気に入られようと必死で足元をついて回る、そんな姿が好きなのだ。
 ぱたぱたと尻尾を振ってじゃれつく姿は微笑ましく愛おしいが、自分で飼おうとは思わない。――おそらく、この感覚が最も近い。



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