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「――この女はお前のせいで死ぬ。それを忘れるな、ハーネット」

 銃声が響く。
 ミューラの身体は、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
 じわじわと赤いものが広がっていく。
 あれほど流れていた涙がぴたりと止まった。身体がぴくりとも動かない。まるで時が止まったかのようだった。瞬き一つ自由にはならず、なにも考えることができない。
 止まってしまったラヴァリルの時間を無理やり動かしたのは、ロータルだ。光を放つほどに磨かれた革靴の底で、ロータルはミューラの身体を踏みつけた。ぐらり、揺れた肢体に意思はない。

「あ……、や、ぁ……」
「これほどあっけないとは、一度教育方法を考え直さねばならんかもしれんな。この程度で魔導師を名乗ってもらっては困る」
「みゅ、ら、なん、……なんで、みゅーら」

 ――ねえ、リル。どうしたの?
 もう二度と、ミューラが笑いかけてくれることはない。

「しかしな、お前がこれだけで本気になってくれるとは思っていない。お前は男が好きだからなぁ。初めからこうしておけばよかったかもしれんな。そうすれば、二人も殺さずに済んだものを」

 嘲笑を受けて奥から連れてこられたのは、ミューラ同様に縛られたリースだった。意識こそあるものの、目の焦点は定まっていない。薬を与えられたのだろうことが容易に伺えた。ひび割れた眼鏡の奥で、紫水晶の瞳が暗く翳っている。

「さあ、愛しい男を殺されたくなければ、行け。言葉通り神の後継者を殺し、陛下の首を持って来い。今度こそ失敗は許さん」
「……るさない」
「うん?」

 優しい日々は消えた。穏やかな未来は奪われた。残るのはつらい現実と、思い出したくもない過去だけだ。
 ぐつりと粘度の高い感情が湧き上がる。ラヴァリルがこれほど純粋な怒りに飲み込まれたのは初めてだ。
 ラヴァリルにとって、消したい過去の中にロータルはいた。生きていくことに必死だった幼少の頃、差し伸べられたこの手が唯一の救いだとそう信じていた。だが、この手は救いをもたらすものではなかった。
 ならばもう、必要ない。
 守るべき友は死んだ。彼によって、奪われた。

「許さない、絶対に! 絶対に許さない! よくもサリアをっ、ミューラを……! あたしの親友を返せ、ゲス野郎!」
「ほう。私に刃向うか、この駄犬が! お前を拾い、育ててやったのは誰だ!? その恩義を忘れたか、恥知らずが! お前達、シャイリーの指を一本ずつ切り落とせ! この馬鹿犬に己の立場を思い知らせてやれ!」

 怒りに顔を赤く塗り替え、ロータルが唾を飛ばしながら怒鳴った。リースを支えていた男の一人が短刀を閃かせる。その手が、血の花を咲かせた。

「ぎゃあっ!!」
「ハーネット、貴様ぁッ!」

 ラヴァリルを拘束する男達は、右手から血を滴らせる姿を見てなにもできないと思い込んでいたらしい。ラヴァリルはその僅かな隙をついて左手で銃を握り、リースを傷つけようとしていた男の手を撃ち抜いたのだ。
 当然拘束はより強くなり、腹を蹴られて胃液が溢れた。銃は手から奪われ、頬に強い衝撃が走る。血の味が口の中に広がり、殴られた衝撃で頭がぐわんと揺れた。
 それでも大人しくしてやる気はさらさらなかった。体勢を崩した拍子に、太腿に隠し持っていた短刀を引き抜いて男達に向かって斬りかかったのだ。ラヴァリルの身体能力は決して低くはない。いくら怪我を負っていようと、怒りに支配された身体は通常よりも素早く動いた。

「この駄犬ッ……、恥知らずが!!」
「――恥知らずはどっちだい?」

 ロータルの一喝に答えたのはこの場にいた誰でもなかった。どこからともなく明るい声が降ってきたかと思えば、次の瞬間にはラヴァリルの目の前に人影が生じていた。
 呆気に取られたのはラヴァリルだけではない。予期せぬ事態に、ロータルとその配下の男達が動きを止めた。
 部屋の中心に立ち、腰に手を当ててぐるりと部屋を見回したその人は、小柄ではあるものの、声からして男だろう。全身黒づくめの装いで、顔は目元しか出ていない。ラヴァリルを見てにっこりと笑んだその目は、赤く色づいた鬼灯のような色をしていた。

「き、貴様、何者だ!? 一体どこから入った!」
「どこからって、そこの窓からお邪魔したぜ。そんなことより姉ちゃん、とっととそこの兄ちゃん連れて逃げな。ここは俺が片付けといてやっからさ」
「え……?」
「なにを馬鹿な! そんなことができるはずもないわ! ――やれ!」

 ロータルが指示するなり用心棒達が武器を構えたが、誰一人として動こうとはしなかった。不審に思った次の瞬間、彼らは同時にごとりと音を立てて首を落とした。噴き出した血が部屋中を染めるのにもかかわらず、黒装束の男は返り血を浴びない位置に移動し、涼しい顔で――表情は見えないが、雰囲気からしてそうだ――手に握った短剣を弄んでいる。
 耐え難い生臭さに、ラヴァリルの足が竦んだ。

「なっ……、なにが、」
「いやー、よかった。魔術使われたらどうしようかと思って、結構ヒヤヒヤしてたんだわ。そら、姉ちゃん。この兄ちゃんやっから、さっさと行きな。アンタはなんにも見ちゃいない。いいな?」
「え……」

 荷物でも扱うようにリースを投げ渡され、ラヴァリルは訳も分からないままその身体を受け止めた。いつの間にかリースを縛っていた縄が切られている。
 リースを抱いたまま動かないラヴァリルに、黒装束の男は呆れたように肩を竦めてミューラの亡骸へと近づいた。やめてと言うよりも早く、彼の短剣が空を切る。
 「そら、」と差し出されたのは、血に汚れていないミューラの髪の一房だった。



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