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「魔導師達を殺すわけではないんだな?」
「はい。姫神様がお望みでないのなら」
「だったら……、だったら、頼めるか。ジア、お前の力を貸してほしい」

 そう言うと、バスィールは端正な顔立ちに驚くほど綺麗な笑みを浮かべ、頷いた。まともに直視すれば、男女問わず腰が抜けてしまいそうなほどの美しさだった。
 しかしその笑みはすぐに鳴りを潜め、真面目な顔で彼は続ける。

「無礼を承知で申し上げます。姫神様、どうか私に祝福をお与えください」
「お前に、祝福?」
「キスのことではありませんか?」
「――いかにも。姫神様からの祝福を乞うなど、あまりに恐れ多いことであると承知の上です。ですがこのバスィール、」

 ヴィシャムの指摘に、申し訳なさそうにバスィールが応える。だがシエラは、彼に最後まで話をさせなかった。
 元より手を伸ばせば届くほど近くに馬を寄せていたため、さほど苦労なく指先はバスィールの肌を捕らえた。肩に手を置き、上体を乗り出して反対の手で顔を引き寄せる。
 鼻先に甘い香りが漂った。バスィールの持つ、甘美な夜の花の香りだ。
 柔らかな唇に自らの唇を重ね、祝福を意識して神気をつぎ込むように啄んだ。エルクディアを相手にしたときとは違い、ぶつけるだけの口づけではない。角度を変えた唇が再び触れ合ったそのとき、シエラの手のひらをちりりとなにかが焼くような痺れが走った。
 一気に神気が膨れ上がる。唇を触れ合わせたまま、「――汝に祝福を」と囁いたその瞬間、膨れ上がった神気が爆発し、シエラとバスィールを中心に円を描くように深紅の炎が生じた。大波を打ち、猛火は凄まじい勢いで丘を下っていく。
 敵味方の別なく呑み込み、それはたちまち平原を炎の海へと変えた。だが、それほどまでに激しい火の勢いを感じさせながら、焼ける臭いは一切漂ってこない。

「これは……、すごいな。大規模な結界、いや、網か?」

 バスィールから身を離し、呆然と平原を眺めていたシエラは、ヴィシャムの呟きを受けて再びバスィールに目を戻した。周囲では、丘の上に残った者達が何事かと目を疑っている。

「これを、お前が?」
「はい。私はあくまでオリヴィニスの僧。聖職者の術は存じ上げません。しかしながら、姫神様のお力をお借りして精霊と同調することはできます」
「シエラ! これは一体……!?」

 神言もなくこれだけの規模の法術を行使しておきながら、バスィールには疲れた様子もない。
 慌てて駆け寄ってきたライナに、シエラは未だ唖然としたまま説明した。

「……ジアの法術だ。おそらくこれで、魔物の盾が使える」
「バスィールさんの!? まさか、だって神言は……」
「なかった。無詠唱だ」
「そんな……」

 信じられないと表情で語るライナがその場に凍りつく。無理もないだろう。こんなことをあっさりと受け入れられる者はそういない。
 ――今まで一度も聖職者としての力を使ったことがないのに、これか。
 シエラは思わず苦く笑った。だが、その苦笑はすぐに艶美な笑みへと変わる。

「ジア、お前が私のもので嬉しい。これからも、私の傍に」
「無論の事にございます」

 その様子に先ほどとは違った意味で凍りついたライナの耳に、全軍出撃の命が届いた。控えていた騎士達が一斉に駆け出していく。
 この戦はもうすぐ終わるだろう。
 神炎が勝利を連れてくる。

 戦場に、無数の赤い花を咲かせて。


+ + +



 たとえば、あの日。
 はっきりと思い出せる。ミューラがお弁当を作ってくれて、サリアとラヴァリルの三人で高原に行った。季節は春で、日差しが気持ちよく、咲き誇る花が綺麗だった。美味しいお弁当を食べて、並んで他愛のない話をして、気がつけば三人とも昼寝をしていた。
 もうそんな日は、来ない。どれほど温かな記憶を辿ったところで、冷たい現実が胸を刺す。陽だまりの優しさは掻き消え、暗闇の厳しさが足を絡め取る。
 ラヴァリルは自分の心が冷え切っていくのを感じていた。とめどなく溢れる涙がなにを意味しているのか、自分でも理解できない。涙腺が壊れたとしか思えなかった。嫌だと思う心に反して戻って来てしまったこの場所に、今度はどんな悲劇が待っているというのか。
 焦燥と不安が呼吸を乱す。

「ハーネット。なんだ、この体たらくは。お前は本当に駄目な子だ。本気になるためには、犠牲を生むより他にないらしい」
「ま、待って! あたしはまだやれる、絶対に勝ってみせるから! だからっ!」
「そう言ってもう何度目だ? うん? ――連れてこい」
「待って! ねえ、待って!! 待ってよ、やめて、ミューラに手を出さないで! おねがっ、」

 ああ、ほら、やっぱり。
 世界に救いなどない。かつてラヴァリルを掬い上げた手が、今は絶望を連れてやってくる。
 奥の隠し扉から引きずり出されたミューラは、ひどく憔悴していた。虚ろな目がラヴァリルを映し、彼女のものとは思えない乾いた唇が枯れた声を発する。

「リル、逃げて……」

 床に転がされ、髪を掴まれてミューラが呻く。それでも彼女は助けを求めない。ただ純粋にラヴァリルを案じ、逃げろと言う。
 駆け寄ろうとした身体が無理やり抑え込まれた。いくらラヴァリルといえど、逞しい男に三人がかりで押さえられれば動けるはずもない。用心棒の一人が短剣を手に取り、ミューラの髪に無造作に刃を入れた。
 腰まである栗色の髪が無残にも散っていく。不恰好になった髪を再び掴み直され、ミューラは強引に仰向かされた。その額に、男の持つ銃口が沈む。

「やめっ、やめて! 理事長っ、ねえ、あたし絶対にシエラを殺してみせるから! ユーリさんの首だって取ってくる! なんでもするから、なんだってするから!! 全部が終わったらあたしのこと殺したっていいから! 手でも足でも好きなだけあげる、なにしたっていいから! だからお願い、ミューラにはっ」

 なんでもする。シエラを殺すのも、ユーリを殺すのも、きっとやってみせる。この身体を投げ出すことなど容易いことだ。命でもなんでも持っていけばいい。
 もがきながらの懇願に、ロータルは穏やかに笑ってみせた。


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