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「なんだ……?」

 炎の中で、エルクディアは独り言を漏らした。耳を塞ぎたくなるような断末魔が聞こえる。だがそれは、一つとして人のものではない。
 身体を包む炎はどう見ても炎そのものだが、微塵も熱を孕んでいない。燃える音も鮮明に聞こえるというのに、焼ける臭いは一切ない。幻影というにはあまりにも現実的(リアル)な感覚に、はっとして丘の上を見上げた。
 フォルクハルトも同じことを考えていたのだろう。目を凝らしていた彼は、本陣を構えた丘の上を睨むようにして、やがて譫言のように言った。

「……神の祝福」

 エルクディアの目には豆粒よりも小さく映るそれが、フォルクハルトには見えているらしい。どういうことかと訊ねたいが、この炎が法術によるもので人間には効かないと気づいた戦場は、再び血で血を洗う有り様に逆戻りしている。
 エルクディア達を押しのけて、ラヴァリルがその場を突破しようとした。「邪魔しないで!」決死の声が痛々しく、ますますエルクディアの知るラヴァリルの人物像とはかけ離れていく。

「こりゃあいい。大規模結界だ、今なら魔物を抑え込める。騎士長、俺は他の奴らの援護に向かう! ここはあんた一人でやれ!」
「分かった!」

 炎の中を駆けていくフォルクハルトを視界の端で見送り、ラヴァリルに剣を構えた。どういう目的か考えたくもないが、ラヴァリルはあの丘の上へ向かおうとしているらしい。
 両者の間に言葉はない。ここから先に行かせるわけにはいかないと決意しているエルクディアと、なんとしてでも突破しようとしているラヴァリルでは、どれほど言葉を交わしたところで分かり合えるはずがないのだ。
 聖職者の放った神炎がクラウディオ平原を赤く染める。熱を持たない不思議な炎の中、放たれる銃弾を避けつつ彼女の利き手を剣先に引っ掻けようとしたそのとき、甲高い笛の音が鼓膜を刺した。

「なっ……、うそ!」

 血相を変えたラヴァリルは、剣先を避けることを忘れたようだった。避けられることを見据えて突き出した剣先は、予想以上に彼女の右腕を深く抉る。大の男でも悲鳴を上げるほどの痛みだろうに、彼女は驚愕の眼差しで虚空を見つめていた。
 その明らかにおかしな様子に、エルクディアも馬を止めた。呼びかけてもラヴァリルは答えない。ぼたぼたと血を流しながら、それでも握った銃は落とさない精神力は敵ながら見事だ。

「どうした、ラヴァリル」
「――ハーネット、帰還命令だ!」

 エルクディアの声に被さって、しわがれた男の声が叫ぶ。
 顔から色を失くしたラヴァリルが、小さく首を振って「いやだ」と呟いたのが分かった。それがどういう意味か、エルクディアには分からない。
 爆ぜる炎が、舞い散る花びらのように空を昇る。
 戦火の中、ラヴァリルは涙で濡れた瞳をエルクディアに向けた。

「……さよなら、えるくん」
「オイ、待て! ラヴァリル! どうい、っ」
「お前の相手は私が勤めよう、竜騎士」
「ふざけるな、オイッ、ラヴァリル! ラヴァリル!!」

 魔術を発動し、上空から剣を構えて飛び降りてきた魔導師の男を躱しながら、エルクディアは走り去るラヴァリルの背中に吠えた。蜂蜜色の髪が見る見るうちに遠ざかる。
 やがて平原を覆い尽くす炎が消える頃、エルクディアの剣は男を貫き、亡骸へと変えていた。他方では魔物を捕らえた神官達が結界を張りつつ、騎士にその盾を渡している。
 余計なことを考えている場合ではなかった。王都騎士団総隊長として、この機を逃すことは許されない。

「今が好機! 全軍出撃ーー!」

 剣を掲げ、腹から声を張り上げる。
 クラウディオ平原に、王都騎士団の闘志が燃え上がった。


+ + +



 貴女、蒼い花咲かせて。
 冷たく綺麗な氷の花。
 でないと、ほら、また赤い花が咲く。


+ + +



 同じ戦場にいるとはいえ、丘の上の本陣は静かなものだった。シエラは平原を見下ろし、ざわつく胸を鎧の奥に仕舞い込んでいた。
 ヴィシャムの話によると、対人用の銃は明らかに数を増し、そのほとんどが聖職者を狙っているという。この戦は聖職者を戦場に引っ張り出し、その数を減らすためのものなのだと。
 銃弾に怯え、神官は魔物を作戦通り捕らえることがなかなかできずにいる。素人の目にも苦戦が強いられている様子が露わになってきた頃、傍らのバスィールが静かな声で語りかけてきた。

「姫神様。少々よろしいでしょうか」
「ああ、どうした」
「私はオリヴィニスがシャガルの僧。他国の諍いを我らオリヴィニスの力を用いて諌めることは、これ禁忌。ですがこのバスィール、姫神様の御為に遣わされた僕(しもべ)にございます」

 銃弾に倒れた神官がまた一人、本陣へと運ばれてきた。肩を撃ち抜かれ、痛みに喘ぐ声がする。魔物に左足を喰われた騎士の手当てに走っていたライナは、シエラとバスィールの会話を聞く余裕などなかった。
 シエラの傍で戦況に目を光らせていたヴィシャムだけが、その静かなやりとりを聞いていた。

「オリヴィニスの力ではなく、私に宿った力を用いて姫神様のお役に立つのであれば、禁忌に触れることはございません」
「……それはつまり、ジアも戦うということか?」
「理由なく命を奪うこと、我らには許されておりません。――先を征く彼らは、魔物を捕らえることを目的とされているのでしょう」
「そうだ。魔物を捕らえ、盾にして銃弾を防ぐらしい」
「でしたらなおのこと、“私の”力をお使いください。姫神様が彼らと同様のことをお望みとあれば、いかようにも」

 馬上で深々と頭を下げたバスィールは、ともすれば冷ややかにも見えるほどの冷静さで戦場を見下ろしている。紫銀の双眸を見つめ、シエラは無意識のうちに喉を鳴らしていた。



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