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 それに、シエラは常に後方に控える立場だ。傍らにはバスィールもいる。なにか危険が及ぶことはまずないだろう。このときばかりはさすがに馬上の人となっていたバスィールは、そんなシエラの視線を受けて恭しく頭を垂れた。
 ざっと道が拓け、蹄の音が近づいてくる。目を向ければ、相変わらずの軽装に外套(マント)を着けただけのエルクディアがこちらへやってくるところだった。
 平原の向こうには魔導師達が陣を構えている。始まりの鐘が鳴れば、彼も剣を振るうのだろう。

「……シエラ様、今からでも遅くはありません。城にお戻りになられてはいかがですか」
「なにを言う。今ここで私が退けば、聖職者達のほとんどが使い物にならなくなるぞ。クロードもいないんだ。ヴィシャムやフォルト達だけでは手に負えない」
「それは無論承知しております。ですが、」
「ぐだぐだ言うな、エルクディア。……お前は王都騎士団の総隊長だろう。お前がそんな顔をしていてどうする。呆れた奴だな」

 周りを気遣って小声でやり取りしていたが、兵士達の興味はシエラとエルクディアから離れない。その状態でエルクディアが浮かない顔をしていたのでは、士気に影響する。そんなことは自分よりもよほど彼の方が詳しいだろうにと、シエラは鼻先で溜息を吐いた。
 周囲の視線が自分達に集中しているのを感じながら、シエラは一歩馬の歩みを進めた。こうすることで、エルクディアと横に並ぶような形になる。

「――時は、来た」

 静かな声だったが、不思議とよく響いた。いくつもの視線を感じる。その中には、ライナやバスィールのものも混ざっているのだろう。隣にいる、エルクディアのものも。

「ここにいるお前達は、選ばれた勇敢な戦士だ。人と戦い、魔物と戦い、数多もの命を屠り、そして救ってきた! 誇り高き騎士達よ、なぜおぞましい魔物相手にと思うだろう。廉潔な聖職者達よ、なぜ同じ人間相手にと思うだろう。しかしこれは、神の威信をかけた戦いである!」

 張り上げる声はさらに大きくなり、遠くの兵士達にも届いていく。

「私のこの髪を見よ! 類を見ぬ神の色だ! 我らは神に許された聖なる一軍だ! 我が竜騎士に与えた祝福は、汝らを正しき道へと導くだろう! ――この私に、アスラナ王に、勝利を捧げよ!」

 言うなりシエラはエルクディアの頬に手を伸ばし、ぐいと引き寄せて唇を寄せた。重なる影に周囲がどっと沸き立つ。鳴り止まない銅鑼のように歓声が響き、それは士気の高まりと共に激しさを増していった。
 驚愕に瞠られたライナの瞳が、零れ落ちそうになっていた。そんな様子を背中に感じながら、シエラはエルクディアの唇の端に押し当てていた自身の唇をそっと離した。

「どこにしたって一緒だと思うが、“そこ”だと思わせた方が盛り上がるだろう。――さすがに二回もされるのは嫌だろうから遠慮してやったんだ、ありがたく思え」
「シエラ様、」

 小声で囁けば、乾いた声が返ってきた。呼びかけに答えるように、男にしては綺麗すぎる頬に手を滑らせてやる。あのときは直視できなかった新緑の瞳をまっすぐに覗き見て、シエラは柔らかく目元を和ませた。
 そんな表情ができることに、内心自分でも驚いていた。あれほど痛みを訴えていた胸は、今や凍りついたように静かなままだ。微笑むことが苦ではない。手を伸ばすことも、こんなにも容易い。

「さあ行け、エルクディア。お前は私の傍で走るよりも、皆を率いてやれ」
「……しかし、それではシエラ様の御身が」
「私のことは心配いらない。何人もの騎士がついてくれるし、それになにより、ジアがいる。魔物に関してはライナも傍にいるから安心だ」

 目線で示した先には、錫杖を構えたバスィールがいる。極彩色の法衣に裸足という姿は日頃と一切変わりなく、凛とした空気がそこにはあった。
 しばらく躊躇いを見せたエルクディアだったが、七番隊の隊長セフレーニアに声をかけられ、ニコラの馬首を返して前線へと向かっていった。背後にひらめく外套を目で追っていると、控えめに、けれど強い眼差しでライナが訊ねてきた。

「……シエラ、今のは?」
「今の、とは?」
「あの演説もそうですし、さっきの……キスも」
「一年もここにいれば、あれくらいできるようにもなる。見よう見真似だから、上手くいったかは分からないが。――それに、さっきのは別にしていない。仮にしていたところで、ただの“神の祝福”だ」
「待ってください、シエラ。貴方、なにがあったんですか? 急にどうして、そんな……」
「別になにもない。ライナまでそんなことを聞くんだな」

 笑って答えれば、ライナは表情をこわばらせて言い淀んだ。しばらく迷うそぶりを見せていたが、意を決して見つめてくる。

「――貴方は、本当にシエラですか」
「私以外の誰に見える?」

 予想外の質問に心から驚いていると、前線から鬨の声が上がった。始まりの鐘が鳴り、馬蹄が轟音となって響き渡る。戦場で交わすには不釣り合いの会話だと気がついたのか、ライナもそれ以上はなにも言うことなく胸のロザリオを構えていた。
 魔気の高まりを感じる。先陣を切った聖職者達が発する神言によって、精霊達がさんざめいている気配がする。
 鳴り響く銃声に、シエラは眉根を寄せて不快感を露わにした。魔物の咆哮よりも、雷撃のような銃声の方がこの戦場では目立っている。

「どうやら、特殊銃の数を増やしてきたようですね。魔物の数は相変わらず、といったところでしょうか」
「ヴィシャム。フォルトはどうした?」
「あれに“待て”ができるわけありません。先陣切って飛び出していきましたよ」



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